資料 蘇州について
2017.09.08
蘇州は、東洋のベニスともいわれる中国江南地方の都市です。
水の都とも言われる蘇州の面積の42.5%を水路、湖などが占めています。
北は長江を枕とし、西に太湖を抱き、南は浙江、西は上海に接しています。
古くから、魚米之郷、絲綢之府、工芸之都、人間天堂... などと称されてきましたが、
この土地を表す「天上天堂、地下蘇杭(天極楽、地に蘇州・杭州)」、
「蘇湖熟、天下足(蘇州・湖州が豊作なら、国中を賄える)」
という南宋から元・明にかけての諺も有名です。
(「上有
天堂、下蘇杭」という言葉もあります。)


蘇州は、昔、呉といいました。また平江、姑蘇とも呼ばれます。
資料 蘇州の位置
2017.09.08
蘇州は江蘇省にあります。
江蘇省は、日本の西日本のあたりに位置し、
気候は日本によく似ています。



世界地図を広げて、中国・上海を見つけたら、
そのすぐ西が蘇州です。
ちなみに中国版新幹線で25分。


上海の西に太湖という湖がありますが、上海と太湖の間です。

(かなり西寄りですが...)

~>゜)~<蛇足>~~
地図は「中国まるごと百科事典」http://www.allchinainfo.com/の
フリーダウンロード地図を使わせていただきました。

地図をクリックすると、大判の画像が出てきます。
『蘇州日記』 -03
2017.09.07
『蘇州日記』 -03

09月27日 雨、朝六時過ぎ渡辺氏宅を出で、7時の急行にて、8時32分蘇州につく。駅より領事館鈴木巡査に伴われ、領事館にて市川領事に面会。11時30分、指定宿に至る。雨やまず。末次氏既に在らずときき悲観。下午、同益里に訪ぬるに果たして然り。早く眠る。

09月28日 重松商店に至り末次氏を探る。電話し、10時にして来られ、倉田氏もまだ在呉中なるを知り、同道して訪ぬ。国泰飯店にあり。これより三人にて郊外虎丘・寒山寺・楓橋鎮・西園・留園等に遊び、松鶴楼にて飯。夜、書場[よせ]に遊ぶ。郊外平和。風光温なり。

09月29日 無錫に遊ぶ。大したことなし。街は工業地にして活発。図書館の時計台より眺むるに、なかなかよし。3時10分の汽車に危く乗り、帰呉。夜、辻部隊長を訪い、末次氏方にも寄る。

09月30日 朝、末次氏方に行き、特務機関に至り、広瀬氏に遇い、省政府秘書章曙氏に紹介さる。三人にて訪ぬるに、かねて小川氏より紹介された章賦瀏氏なり。文化関係の消息をうかがう。
獅子林に遊ぶに、亭中崑曲を温習す。素人なれども面白し。
大丸にて服を注文、14.50なり。夜、開明に唐明皇を聴く。陳善甫のみややよし、ほかは俗悪。


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解説;

領事館の自動車で領事館:
昔は蘇州にも日本領事館がありました。
特務機関もあったのですね。


崑曲:
蘇州の地元の伝統的な謡。


~>゜)~<蛇足>~~
蘇州について早々にあちらこちら観光。
そして無錫にまで足をのばすとは....
頭が下がります(^^ゞ
資料 蘇州城
2017.09.07
蘇州日記をご紹介するにあたり、蘇州についてご紹介します。

現在の蘇州の日本でいうところの旧市内を中心にした地図を
百度マップから拾ってみました。



水色のお堀に囲まれているのが、いわゆる蘇州城です。
城とは言いますが、
日本の平城京、平安京の「京」にあたると思っていただけたらわかりやすいと思います。

はてさて
蘇州城は、中国でも有数の古都です。
どれぐらい古いかというと春秋時代にまでさかのぼります。
春秋五覇のひとり呉王・闔閭が、伍子胥に命じて作った都が「闔閭城」。
現在に至るまでの蘇州の基になっています。

現在残っている最古の地図は『平江圖』という、
石碑に刻まれた地図です。



これは南宋の時代、1229年に彫られたもので
その拓本の写しです。
わかりやすく白黒反転させたものがこれです。


ほとんど変わっていないのがお分かりいただけると思います。
蘇州は、紀元前500年ぐらいから続く、中国有数の古都なのです。
『蘇州日記』 -03 私信
2017.09.07
『蘇州日記』 -02 私信

09月28日
[高倉克己宛]
昨日九時半雨の中を蘇州に入りました。領事館の自動車で領事館へ、それから指定の下宿へ入りました。いま木犀が街に香いあふれて、また街自身臭味が少くいいところです。末次氏は近く漢口へ行かれる由ですが、なお当分おいでの由で、今日は郊外寒山寺・虎丘山・留園といったところを倉田氏と一しょにつれて行ってもらいました。明日は無錫へまた三人で参る約束です。昨日は末次氏不在と、この下宿の不親切、日本食のまづさに閉口した私も、今日はお蔭で元気一杯腹一杯です。しばらくなれたら一人でもよいでしょうが、やはりはじめだけは知人のある無は大ちがいだとつくづく悟りました。郊外の景色は内地と余り変わらず、美しいこと数倍です。皆元気ですか。ではまた。約束の月餅は、もたぬそうですからやめました。

09月30日
[伊津野直宛]
出発の際は御電報ありがとうございました。上海へつく朝拝受いたしました。25日12時半上海着、二日滞在して27日当地に到着、領事館の世話で、下記日本下宿に入りました。丁度倉田様も引続き滞在中で、連日方々歩いております。昨日も無錫まで行って参りました。なかなか大きい、活気に満ちた元気な町でした。当地は街に臭気もなく、それどころか木犀白蘭等の香りで、昼夜いい気持ちです。領事館ではなかなか鄭重ですが、どんなものですか。学者等はやはり上海あたりに居るらしく、図書もここも無錫も駄目です。民衆演芸として弾詞や歌曲などは相当の余勢があるらしく、勉強の材料になることと存じます。目下のところは一向に勿曉得で情ない状態ですが、郊外の風景は朝顔や彼岸花なども咲き乱れ、稲は穂を垂れて内地とさほど異った感じではありません。京都の南郊と似た景物だと思います。水の豊富なせいか、砂塵のなやみも今のところありません。もっとも飲料水はやはりクリークの水をこして沸かし、湯にしたものを買うようです。北京のような水売りはおりません。いろいろ雑然と描きました。また落着いてから申上げます。

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解説;

領事館の自動車で領事館:
昔は蘇州にも日本領事館がありました。

木犀が街に香いあふれて:
蘇州は金木犀の都との別名もあります。

約束の月餅:
1939年9月27日は旧暦八月十五日。中秋節。
中秋節には欠かせない月餅を頼まれたらしい。

勿曉得:  わからない... 南方の言い回し。

~>゜)~<蛇足>~~
私信が間に入っていますが、
今回は別に取り出して紹介することにしました。

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