『蘇州日記』 -02
2017.09.07
『蘇州日記』 -02
09月25日 支那時間11時30分上海着。連日快晴。やや向かい風あるも平穏この上なし。
永安公司にて唱片(レコード)1張、3.00。牧田氏と打合す。
09月26日 中国書店に至り、袁君の案内にて各地を巡る。唱片1張、4.50。
09月27日 雨、朝六時過ぎ渡辺氏宅を出で、7時の急行にて、8時32分蘇州につく。
-*-*-*-*-
解説;
支那時間:
原文のまま載せます。中国時間のことです。
上海-蘇州間の列車
当時は急行で1時間32分かかったようですね。
現在は新幹線の最も速いもので25分です。
7時発の新幹線に乗れば、7:25には蘇州着。
便利になったものです。
~>゜)~<蛇足>~~
いつの世も、留学生の行動は一緒かな。
本屋巡りをしたり、レコードショップをのぞいたり。
09月25日 支那時間11時30分上海着。連日快晴。やや向かい風あるも平穏この上なし。
永安公司にて唱片(レコード)1張、3.00。牧田氏と打合す。
09月26日 中国書店に至り、袁君の案内にて各地を巡る。唱片1張、4.50。
09月27日 雨、朝六時過ぎ渡辺氏宅を出で、7時の急行にて、8時32分蘇州につく。
-*-*-*-*-
解説;
支那時間:
原文のまま載せます。中国時間のことです。
上海-蘇州間の列車
当時は急行で1時間32分かかったようですね。
現在は新幹線の最も速いもので25分です。
7時発の新幹線に乗れば、7:25には蘇州着。
便利になったものです。
~>゜)~<蛇足>~~
いつの世も、留学生の行動は一緒かな。
本屋巡りをしたり、レコードショップをのぞいたり。
2017.09.07 12:37 | 固定リンク | 特別編: 高倉正三著『蘇州日記』
『蘇州日記』 -01
2017.09.06
『蘇州日記』 01
昭和13年
12月○日 東方文化研究所より外務省在支特別研究員の交渉を受く。
昭和14年
04月05日 上京。1日外務省に至り面会。
05月○日 過誤により第三種留学生に選ばれたるにつき辞退。日比野同ず。月末在支特別研究員を命ぜらる。
07月14日 身分証明書来る。日比野、大島両氏は7月2日出発。北京に向う。
07月24日 警察署より証明書を受く。
08月02日 夜、上京。8日墓参。1日帰路。
08月11日 上賀茂田端氏邸に末次晋氏を訪い、蘇州に於ける宿所を同氏宅に求む。蘇州城内五州路同益里第三号。
08月14日 郵船鎌倉丸申込み。
08月24日 母の喪に遇う。
09月04日 11日迄出発延期届を1付提出。
09月05日 郵船香取丸に申込み。
09月06日 香取丸一等Bに予約。
09月22日 朝8時出発。正午神戸出帆。
09月23日 門司2時発。
09月25日 支那時間11時30分上海着。
-*-*-*-*-
解説;
東方文化学院:
義和団事件(1899年)の賠償金で作られた日中共同の東方文化研究所。
相互理解のための文化研究所。
日中双方に設立、日本側は東京研究所と京都研究所がありました。
1938年に
東京研究所→東方文化研究所
京都研究所→東方文化学院
改称。
いってみれば外務省管轄の東アジア専門研究機関。
身分証:
ここでいう身分証は、パスポート。
同益里:
百度地図から....
地図の「1」あたりが同益里。
四角い水路は蘇州城のお堀、お堀の内側は昔からの蘇州なので、
蘇州のど真ん中あたりです。
郵船香取丸:
日本郵船の欧州航路の貨客船。
ということは上海にも立ち寄ったんですね。
(この船については、サイト「なつかしい日本の汽船」さんをご覧ください。)
(欧州航路の船だということも、そちらで勉強させていただきました)
(船についての紹介は、門外漢が書くよりも、ぜひ「こちら」をご参照ください。)
予約したものの乗船で気なかった鎌倉丸はポートサイド航路でした。
こちらも、サイト「なつかしい日本の汽船」から判明しました。
~>゜)~<蛇足>~~
特別研究員として中国に行けるはずだったのが、第三種留学生....
第三種留学生がどんなものかわかりませんが、文字からして底辺ですよね。
そりゃ辞退するでしょう。
どんな待遇だったかは想像するしかありませんが、かなり違うのがわかります。
すったもんだはあったのでしょうが、特別研究員としての派遣が決まってよかったですよね。
待遇、全然違ったと思います。
私の時代は、中国が留学費用をもつ国費と、それ以外の自費がありました。
費用の面でかなりの違いがありました。
ちなみに私は、成績及ばず自費でした....(^^ゞ
自費の中には、会社派遣などの人たちもいましたね。
私は最底辺の、自費の自費の留学生でした。
香取丸については、サイト「なつかしい日本の汽船」を参照させていただきました。
(転載許可をいただきました。ありがとうございます)
日本から海外に渡った文豪諸氏などなど、
どんな船に乗っていったのか.... 調べてみたいと思っているところです。
神戸-上海航路:
この日記の中で 神戸-上海間は
22日神戸正午出港、25日11:30上海到着。となっています。
現在も神戸-上海航路はあります。
週一便で、火曜日11:30神戸出港、木曜日11:00上海到着。
詳しくは新鑑真http://www.shinganjin.com/をご覧ください。
昭和13年
12月○日 東方文化研究所より外務省在支特別研究員の交渉を受く。
昭和14年
04月05日 上京。1日外務省に至り面会。
05月○日 過誤により第三種留学生に選ばれたるにつき辞退。日比野同ず。月末在支特別研究員を命ぜらる。
07月14日 身分証明書来る。日比野、大島両氏は7月2日出発。北京に向う。
07月24日 警察署より証明書を受く。
08月02日 夜、上京。8日墓参。1日帰路。
08月11日 上賀茂田端氏邸に末次晋氏を訪い、蘇州に於ける宿所を同氏宅に求む。蘇州城内五州路同益里第三号。
08月14日 郵船鎌倉丸申込み。
08月24日 母の喪に遇う。
09月04日 11日迄出発延期届を1付提出。
09月05日 郵船香取丸に申込み。
09月06日 香取丸一等Bに予約。
09月22日 朝8時出発。正午神戸出帆。
09月23日 門司2時発。
09月25日 支那時間11時30分上海着。
-*-*-*-*-
解説;
東方文化学院:
義和団事件(1899年)の賠償金で作られた日中共同の東方文化研究所。
相互理解のための文化研究所。
日中双方に設立、日本側は東京研究所と京都研究所がありました。
1938年に
東京研究所→東方文化研究所
京都研究所→東方文化学院
改称。
いってみれば外務省管轄の東アジア専門研究機関。
身分証:
ここでいう身分証は、パスポート。
同益里:
百度地図から....
地図の「1」あたりが同益里。
四角い水路は蘇州城のお堀、お堀の内側は昔からの蘇州なので、
蘇州のど真ん中あたりです。
郵船香取丸:
日本郵船の欧州航路の貨客船。
ということは上海にも立ち寄ったんですね。
(この船については、サイト「なつかしい日本の汽船」さんをご覧ください。)
(欧州航路の船だということも、そちらで勉強させていただきました)
(船についての紹介は、門外漢が書くよりも、ぜひ「こちら」をご参照ください。)
予約したものの乗船で気なかった鎌倉丸はポートサイド航路でした。
こちらも、サイト「なつかしい日本の汽船」から判明しました。
~>゜)~<蛇足>~~
特別研究員として中国に行けるはずだったのが、第三種留学生....
第三種留学生がどんなものかわかりませんが、文字からして底辺ですよね。
そりゃ辞退するでしょう。
どんな待遇だったかは想像するしかありませんが、かなり違うのがわかります。
すったもんだはあったのでしょうが、特別研究員としての派遣が決まってよかったですよね。
待遇、全然違ったと思います。
私の時代は、中国が留学費用をもつ国費と、それ以外の自費がありました。
費用の面でかなりの違いがありました。
ちなみに私は、成績及ばず自費でした....(^^ゞ
自費の中には、会社派遣などの人たちもいましたね。
私は最底辺の、自費の自費の留学生でした。
香取丸については、サイト「なつかしい日本の汽船」を参照させていただきました。
(転載許可をいただきました。ありがとうございます)
日本から海外に渡った文豪諸氏などなど、
どんな船に乗っていったのか.... 調べてみたいと思っているところです。
神戸-上海航路:
この日記の中で 神戸-上海間は
22日神戸正午出港、25日11:30上海到着。となっています。
現在も神戸-上海航路はあります。
週一便で、火曜日11:30神戸出港、木曜日11:00上海到着。
詳しくは新鑑真http://www.shinganjin.com/をご覧ください。
2017.09.06 13:13 | 固定リンク | 特別編: 高倉正三著『蘇州日記』
『蘇州日記』 -00
2017.09.04
『蘇州日記』高倉正三著 (光文堂)のご紹介
最近、再読している蘇州語研究者であった高倉正三氏の
1941年9月から1943年3月までの日記をご紹介することにしました。
75年ほどまえの蘇州の様子をお伝え出来たらうれしいです。
できるだけ解説に力を入れたいと思っています。
第1回は、昭和13年(1937年)~14(1938)年9月の出発前夜まで。
留学生選抜から、渡航準備の日記です。
(第2回から中国国内になります。)
お楽しみいただけたら嬉しいです。
注意:
読みやすくするため、
漢数字はアラビア数字に、
旧字体は、新字体に
書き換えています。
~>゜)~<蛇足>~~
表紙を開けたところのこの地図。
オリジナルを現在探しているところです。
~>゜)~<蛇足>~~
私の留学記念日は1983年9月4日。
友達といつも祝っています。
あのころももう、歴史の一部になっていますが、
それよりも昔の留学生の先輩の生活の様子を、
紹介したいです。
最近、再読している蘇州語研究者であった高倉正三氏の
1941年9月から1943年3月までの日記をご紹介することにしました。
75年ほどまえの蘇州の様子をお伝え出来たらうれしいです。
できるだけ解説に力を入れたいと思っています。
第1回は、昭和13年(1937年)~14(1938)年9月の出発前夜まで。
留学生選抜から、渡航準備の日記です。
(第2回から中国国内になります。)
お楽しみいただけたら嬉しいです。
注意:
読みやすくするため、
漢数字はアラビア数字に、
旧字体は、新字体に
書き換えています。
~>゜)~<蛇足>~~
表紙を開けたところのこの地図。
オリジナルを現在探しているところです。
~>゜)~<蛇足>~~
私の留学記念日は1983年9月4日。
友達といつも祝っています。
あのころももう、歴史の一部になっていますが、
それよりも昔の留学生の先輩の生活の様子を、
紹介したいです。
2017.09.04 11:47 | 固定リンク | 特別編: 高倉正三著『蘇州日記』