『蘇州日記』 -01
2017.09.06
『蘇州日記』 01

昭和13年

12月○日 東方文化研究所より外務省在支特別研究員の交渉を受く。

昭和14年

04月05日 上京。1日外務省に至り面会。

05月○日 過誤により第三種留学生に選ばれたるにつき辞退。日比野同ず。月末在支特別研究員を命ぜらる。

07月14日 身分証明書来る。日比野、大島両氏は7月2日出発。北京に向う。

07月24日 警察署より証明書を受く。

08月02日 夜、上京。8日墓参。1日帰路。

08月11日 上賀茂田端氏邸に末次晋氏を訪い、蘇州に於ける宿所を同氏宅に求む。蘇州城内五州路同益里第三号。

08月14日 郵船鎌倉丸申込み。

08月24日 母の喪に遇う。

09月04日 11日迄出発延期届を1付提出。

09月05日 郵船香取丸に申込み。

09月06日 香取丸一等Bに予約。

09月22日 朝8時出発。正午神戸出帆。

09月23日 門司2時発。

09月25日 支那時間11時30分上海着。

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解説;

東方文化学院:
義和団事件(1899年)の賠償金で作られた日中共同の東方文化研究所。
相互理解のための文化研究所。
日中双方に設立、日本側は東京研究所と京都研究所がありました。
1938年に
 東京研究所→東方文化研究所
 京都研究所→東方文化学院
改称。
いってみれば外務省管轄の東アジア専門研究機関。

身分証:
ここでいう身分証は、パスポート。

同益里:

百度地図から....
地図の「1」あたりが同益里。
四角い水路は蘇州城のお堀、お堀の内側は昔からの蘇州なので、
蘇州のど真ん中あたりです。

郵船香取丸:
日本郵船の欧州航路の貨客船。
ということは上海にも立ち寄ったんですね。

(この船については、サイト「なつかしい日本の汽船」さんをご覧ください。)
(欧州航路の船だということも、そちらで勉強させていただきました)
(船についての紹介は、門外漢が書くよりも、ぜひ「こちら」をご参照ください。)
予約したものの乗船で気なかった鎌倉丸はポートサイド航路でした。
こちらも、サイト「なつかしい日本の汽船」から判明しました。







~>゜)~<蛇足>~~

特別研究員として中国に行けるはずだったのが、第三種留学生....
第三種留学生がどんなものかわかりませんが、文字からして底辺ですよね。
そりゃ辞退するでしょう。
どんな待遇だったかは想像するしかありませんが、かなり違うのがわかります。
すったもんだはあったのでしょうが、特別研究員としての派遣が決まってよかったですよね。
待遇、全然違ったと思います。
私の時代は、中国が留学費用をもつ国費と、それ以外の自費がありました。
費用の面でかなりの違いがありました。
ちなみに私は、成績及ばず自費でした....(^^ゞ
自費の中には、会社派遣などの人たちもいましたね。
私は最底辺の、自費の自費の留学生でした。

香取丸については、サイト「なつかしい日本の汽船」を参照させていただきました。
(転載許可をいただきました。ありがとうございます)

日本から海外に渡った文豪諸氏などなど、
どんな船に乗っていったのか.... 調べてみたいと思っているところです。

神戸-上海航路:
この日記の中で 神戸-上海間は
22日神戸正午出港、25日11:30上海到着。となっています。
現在も神戸-上海航路はあります。
週一便で、火曜日11:30神戸出港、木曜日11:00上海到着。
詳しくは新鑑真http://www.shinganjin.com/をご覧ください。

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