後宮の四月
2016.05.08
故宮壁紙集: 立夏
2016.05.05
老照片: 科挙の様子
2016.05.03
こんな写真を見つけました。
貢院(科挙の試験場)の写真です。
それも最後の科挙の試験場の様子らしいです。
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貢院の写真は見たことがあるのですが、
科挙の様子を写したものは初めてでした。
古い写真なので、解説を入れないと、わかりませんが...
細かく区切られた巨大な長屋のような建物は試験部屋。
この中で試験の期間中過ごします。
真ん中の通路は、すでに、試験部屋に落ち着いた受験生でしょうか。
そのなりの通路はまだ入場中の受験生のようです。
最後の科挙についてはこちらをどうぞ
被清政府废除的科举制度,最后一次是考的什么?
貢院(科挙の試験場)の写真です。
それも最後の科挙の試験場の様子らしいです。
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貢院の写真は見たことがあるのですが、
科挙の様子を写したものは初めてでした。
古い写真なので、解説を入れないと、わかりませんが...
細かく区切られた巨大な長屋のような建物は試験部屋。
この中で試験の期間中過ごします。
真ん中の通路は、すでに、試験部屋に落ち着いた受験生でしょうか。
そのなりの通路はまだ入場中の受験生のようです。
最後の科挙についてはこちらをどうぞ
被清政府废除的科举制度,最后一次是考的什么?
蘇州西郊外の新旧地図の比較
2016.05.02
今朝のお散歩は写真なし。
なので、こちらの地図を紹介します。
ご近所地図なのですが
この地図のあたりって、どのあたりなのかな... と思いながら歩いたのでご紹介。
白黒の地図は 昭和13年1938年のもの
カラーの地図は、ほぼ同じあたりを、百度地図からスクリーンショットしたものです。
80年近い違いがあります。
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1936年の地図はあまりにもおおざっぱですが
当時はかなりの郊外だったはず。
なので、地図もおおざっぱだったのでしょう。
比較してみました。
白黒の地図、名前の書いていない山、北側が獅子山で、南側が横山かな?
水路も、ほぼたどれました。
獅子山がわかれば住んでいる場所はわかります。
今日歩いたのも、大体このあたりか... と予測がつきました。
そして、今の私にはやっぱり寒山寺は往復は無謀だなぁと感じた次第。
寒山寺まで1キロまでは歩いたのですが、
あと1キロと言ったら往復で2キロですしね...
もう少し鍛えてから、頑張る予定です。
そして、この地図によると
大運河は、北から流れてきて、蘇州城をグルっと回って、南に行くんですね。
一般に運河と言っているところは、蘇州城を迂回せずなんかする支流「楓喬塘」... ふむふむ。
いろいろと面白い!
ちなみに1938年の地図は
「最新蘇州地図」、至誠堂という上海の日系出版社が発行したものです。
なので、こちらの地図を紹介します。
ご近所地図なのですが
この地図のあたりって、どのあたりなのかな... と思いながら歩いたのでご紹介。
白黒の地図は 昭和13年1938年のもの
カラーの地図は、ほぼ同じあたりを、百度地図からスクリーンショットしたものです。
80年近い違いがあります。
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1936年の地図はあまりにもおおざっぱですが
当時はかなりの郊外だったはず。
なので、地図もおおざっぱだったのでしょう。
比較してみました。
白黒の地図、名前の書いていない山、北側が獅子山で、南側が横山かな?
水路も、ほぼたどれました。
獅子山がわかれば住んでいる場所はわかります。
今日歩いたのも、大体このあたりか... と予測がつきました。
そして、今の私にはやっぱり寒山寺は往復は無謀だなぁと感じた次第。
寒山寺まで1キロまでは歩いたのですが、
あと1キロと言ったら往復で2キロですしね...
もう少し鍛えてから、頑張る予定です。
そして、この地図によると
大運河は、北から流れてきて、蘇州城をグルっと回って、南に行くんですね。
一般に運河と言っているところは、蘇州城を迂回せずなんかする支流「楓喬塘」... ふむふむ。
いろいろと面白い!
ちなみに1938年の地図は
「最新蘇州地図」、至誠堂という上海の日系出版社が発行したものです。
2016.05.02 13:12 | 固定リンク | 特別編: 蘇州、水路の風景