◇ 廠甸は、正陽門外二里(1km)ほどの場所にある。昔は海王村といった。今は工部の瑠璃瓦工場がある場所だ。
街の長さは二里ほどで、道の南側も北側も同じように店舗が立ち並んでいる。商っているものは、文人といわれる人たちが鑑賞するような骨董、書画、紙類、書籍などが主流となっている。
正月になると一日から半月の期間、市が開かれる。
子供の喜びそうなおもちゃは廠甸、宝石類は火神廟のあたりで、玉珠水晶や古い銅製品などが並ぶ。
金持ちの輩も、掘り出し物を探しにやってくる。宝石類のなかでも翡翠がもっとも尊ばれ、指輪一つ、帽子の飾り一つで万単位の値段がつく。そのほかガラス製の小瓶が重んじられている。
国営工場製のものでも古月軒のものが上等だ。新しいものはいうに及ばず、だ。
このような趣味のものにも流行があり、乾隆時代には珊瑚が重宝がられ、緑色の玉の印材は軽んじられたが、後に緑色の玉がはやった。最近では翡翠やガラスの小瓶が重んじられ、風流人の中には古い玉を重んじる人もいる。これらは笛や剣の飾りなどなのだが、古色蒼然とはしているものの、真偽のほどはわからない。「物に口があれば、この種の諍いはなくなるだろう」と私はかつて言っていたが、こういう類のものをさしているのである。
古い陶磁器についていえば、さびしいことに多くは海外に買い取られてしまっている。
『日下旧聞考』に、琉璃廠の東に遼の御史太夫・李内貞の墓があるという記載がある。乾隆三十六年工部郎中孟?が、李内貞の墓誌を発掘したが、そこに「海王村に葬る」とあった。
訳注:
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