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燕京歳時記 一月 「鬼やらい」


鬼やらいは、西域の仏教の行事だが、別に奇怪な風習ではない。それらは古代の九門において追儺をおこなった風習と同じく不祥を祓う儀式だ。
鬼やらいの日には僧侶は、天上界の神仏神将にそれぞれ扮して、邪魔を祓う。
あまりにも多くの人々がこれを見物するため、街巷は空っぽになってしまう感がある。
皇室は仏教を重んじているので、特別に散秩大臣一人を派遣して、これに臨席させている。
これは孔子が追儺の時に礼服を着て、東の階(きざはし)にたって賓客を迎え、恭敬を示したという故事からきている。

『宸垣識略』を見ると

東黄寺は安定門外の?黄旗の練兵場にある。順治八編に勅命により普浄禅林の跡地に再建され、康煕二十三年に修復が行われた。寺の西側に瑠璃門がり、清浄化城とよばれている。後方に石坊二基、石台一基、石塔一座がある。高さ八丈(約26.5m)で、精巧な彫刻が施され、上には金の傘があり、その光彩には目を奪われる。古くから班禅仏塔と呼ばれ続けている。祀られている班禅仏は瘢疹仏ともいうが、この班禅喇嘛が天然痘で亡くなったためにそう呼ばれているのだろう。塔の傍らに経幢が四基あり、これは乾隆四十八年に彭元瑞によりかかれた。皇帝御製の『清浄化城記』は石台の東側にあり、満州文字、漢字、モンゴル文字、梵字の四体で書かれている。塔の後ろの楼は慧香閣という。
雍和宮は東直門内北新橋の真北一里(0.5km)にあり、正宗憲皇帝(雍正帝)の邸宅だったが、即位後、雍和宮と命名された。
黒寺は徳勝門外の北西三里(1.5km)にあり、前方の寺(前黒寺)を慈度寺、後方の寺(後黒寺)を察罕喇嘛(チャカンラマ)廟という。

と書かれている。

黒寺は、鉄色の瑠璃瓦をいったのであろう。今はこれもない。雍和宮には鉄香亭が一宇あるが、康煕乙卯年に作られたものだ。


訳注:

 


2007/04/28/
改稿2012/03/19

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