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燕京歳時記 一月 「大鐘寺」


大聖寺はもともと覚生寺といい、大きな鐘があることから「大鐘寺」という名が付いた。つねに雨乞い祈願が行われている。毎年正月の元日から十日間縁日があり、多くの人々が集まる。都の少年たちは馬や馬車に乗って、疲れもいとわず駆け回り楽しむ。馬一騎の費用は数百金するものもある。金を惜しまず駿馬を買い求める昔の習慣が残っているのであろうか。

『日下旧聞考』を見ると、

華厳鐘は明の永楽時代(1403〜24)に鋳造され、高さ一丈五尺、直径一丈四尺、つり手の高さ七尺、厚さ七寸、重さ八万七千斤。鐘の内外面には楷書で法華経が書かれている。字の大きさは五分、櫛の目のように密に書かれている。これは学士沈度の書である。

と書かれている。

この鐘は嘉靖年間(1522〜66)に万寿寺に懸けてあったが、後に「都から白虎の方向に『金』の音があるのはよくない」と言い出すものがいて、取り外され地面に置かれていたが、清朝の乾隆八年(1743)年に覚生寺に移され、それから覚生寺が大鐘寺といわれるようになった。大鐘寺は徳勝門の外七里(3.5km)、元の城壁跡の北西の曽家荘にある。雍正十一年(1733)に鐘楼が建立された。高さは五丈(16.5m)で、下部は方形、上部は円形になっている。四方に窓があり、後ろに廻り階段があり、左からのぼり、右から降りてくるようになっている。鐘は鐘楼の中央に懸けられている。純銅製で、形もよく、表面は肌理細やかでまさに至宝。しかしながら、その鐘の音を私は一度も聞いたことがない。前殿には雍正十二年翰林院編集の張若藹の撰した碑がある。


訳注:

金を惜しまず駿馬を買い求める昔の習慣: 原文では「金台市駿」という故事成語。


2007/04/28/
改稿2012/03/19

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