燕京雑考 目次>>燕京歳時記>>
 
一月  
二月  
三月  
四月
五月

・端陽 端午
・雄黄酒
・魔よけのお札
・菖蒲、艾
・虎の人形
・紙ヒョウタン
・賜葛
・土地神様の巡幸
・出し物の行列
・都城隍廟
・南頂
・十里河
・瑶台
・刀研ぎの雨
・龍兵配置
・悪月
・ざくろと夾竹桃
・わせとうもろこし
・まくわうり
・爪染め 

六月  
七月  
八月  
九月  
十月  
十一月  
十二月  
 

燕京歳時記 五月 「南頂」


南頂の碧霞元君廟は永定門の外3kmほどのところに西向に建っている。左右に門があり、左の門には「廣生長養」、右の門には「羣育滋藩」とかかれた額がかかっている。この二つの額は、乾隆三十八年(1773)、修築時の乾隆帝の親書である。毎年五月一日から十日間の縁日には多くの信者が集まる。廟は荒廃しているが、河原や小高いところに席がもうけられ、そこで落ち着いて飲み食いをしている。夕刻になると三々五々帰途につく。多くの参詣客はここから大沙子口にいき競馬をみる。

『宸垣識略(しんえんしきりゃく)』によれば

南頂の南に流れる川は「涼水河」といい橋を「永定橋」という。小高い丘は「九龍山」といい、この山は涼水河を作ったときに掘られた土で作られた山で、まわりに桃、柳などが植えられた。縁日にはここに桟敷が作られ、人々はここで飲み食いをする。

という。

現在でも山は残っているが、桃や柳は見る影もない。


訳注:


2001/08/01
改稿2011/05/31

<<燕京歳時記<<燕京雑考 目次