2003年2月17日 No,7 |
世界各地で働く友人たちからの情報によるとアフリカの小国でも南太平洋の島国でも、そして北欧でもどんな国にも中華料理屋はあるらしい。主体的にではなく母国から出ていかなければならなかった理由があったにせよ世界中に羽ばたいて、その土地で商売をする中国人のメンタリティーには頭が下がります。ヨーロッパを中心に依然としてアジア人蔑視の風潮が残っているのも事実のようですが、「ジャパンマネー」のようなアドバンテージを持たない彼らにとって、かの地での生活は想像以上に厳しいものだったはずです。 この街の市場にもはるか遠くパキスタンやアフガニスタンの国境付近から物資を売りに来ている人々をよく見かけます。彼らもれっきとした中国人ですがその風貌は中東を感じさせます。アメリカ、イギリスのイラク攻撃が秒読みと言われる中、彼らの目に世界一豊かな国々の行動はどう映っているのだろうか。大陸を股にかける彼らには、日本人やアメリカ人にとって非常に未知で遠い国イラクもきっと違った見え方をしているはず。月並みですが、何とか武力行使だけは避けられることを祈って。通信7号よろしくお願いします。 BASEBALL in Panzhihua
そんな彼を取り巻く大きな問題は彼の家がとても貧しいということ。彼の家の所得はこの街の平均収入の半分くらい。そのため彼の学費、そして野球にかかる費用は親御さんにとって非常に大きな負担になっていました。 春節が終わった先週のある日彼のお母さんから、新学期は彼に野球をやらせられない、しかも学校も転校させるつもりでいるという旨の電話がありました。自分は、彼が野球の能力が非常に優れているということ、遠征に行く行かないは別にして、なんとか普段の練習は続けられないかという趣旨を伝えました。しかし彼女はそれに対しては特に何も答えず電話を切りました。 親御さんの思いも非常によくわかります。収入が少ない中、学費以外にかかる野球の遠征費用等は大変な負担です。また選手たちが通う中学校は※市内で一番学費の高い学校なんです。これが家庭内の問題である以上、立ち入りすぎるわけにも行かず、自分も憂鬱な数日を過ごしていました。 そして今日朝、学校に行くと、彼とお母さんが自分を待っていました。彼女は「色々問題はあるけどもう少し頑張ってここで野球を続けさせてみることにしました」と。その横で、彼は泣いていました。さすがに自分も今日ばかりは泣いている彼をとがめることはできませんでした。 実は今回自分は彼の学費の不足分を出してあげたい、彼の遠征費を肩代わりしてあげたいという衝動に駆られました。ただ、もし自分がそうした選択をしていたら、彼らが家族で真剣に話し合うこともなかっただろうし、彼自身も親に自分で意思表示をする機会もなかったかもしれません。自分たちで問題解決をする機会を奪うことになっていました。 これは問題の大小の差こそあれ国際協力に携わる人誰もが抱えている問題だと思います。支援の限界のラインをどこで引くのか、何をもって自助努力と見なすのか、特に今回のように関係が親密になればなるほど判断は難しくなります。自分の場合は野球指導が仕事です。野球なんかできなくたって死ぬわけじゃない。ただその中でも飢餓に苦しんでいる子どもを救いたいと思うのと同じような感情が出てくるのも現実です。堅苦しい話になってしまいましたが、皆さんはどうお考えですか?ご意見をお聞かせ願えればと思います。 今回、同年代の子どもができない経験をした彼が今後どう成長していくのか、期待してください。 ※中国の学校では同じ公立でも授業料は一律ではなく、進学実績、教員の質、学習環境、補助金の額などによって金額が変わってきます。 週末キッズ近況
終わりに ここは2月に入ってから気温もどんどん上昇中。日中は半袖で問題ないくらいの陽気になってきました。もう少しでやってきます、連日40度の灼熱地獄が。7月の大会までまた気持ちを入れなおして頑張ろうと思います。皆さんまたよろしくお願いします。 |
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