2002年12月30日 No,2
 
いきなりですが、「中国のトイレ」と聞いて皆さんどんなものを想像されますか?知らない人同士が縦につらなって溝にまたがって用を足す、はたまた終わったあとは縄がトイレットペーパーの代わりを果たす。いずれにしてもネガティブなイメージを持たれている人が多いのではないでしょうか。そんなトイレ、四川省ではまだまだ健在です。家の中にあるものはともかく、公衆トイレなどは非常にスリリング。縄は見たことはないけど、基本的にトイレのドアはないのが普通。選手の学校なんかでもこんな感じ。このあたりの感覚は日本と中国じゃ全然違います。ただ北京、上海など大都市ではこんな文化遺産も消滅の危機。大都市の発展の速度は本当に目を見張るものがあって、衛生環境も日本並みになってきています。

 そんな急成長を続ける中国にあって、この街では緩やかに時間が流れて、子供たちと一緒にボールを追いかける日々が続いています。通信第2号、今回もよろしくお願いします。


BASEBALL in Panzhihua

今回も前号に続いてこの街の野球の現状なんかをもう少し書きたいと思います。

まず、肝心な事を忘れていました。この街の名称について説明が不十分でした。この街は漢字では「攀枝花」と書きます。中国語ではこれを「パンチーホア」と読みます。今回はタイトルの上にも書きましたが、これが中国語での読み方、でも「攀枝花」を日本風に読むと「はんしか」となります。中国の地名の場合、日文と中文で読み方が違ってきてしまい、「北京」も中文では「ベイジン」と発音します。中国名「パンチーホア」もぜひ覚えてください。

前回も書きましたが中国では珍しく攀枝花での野球の普及度はかなり特異です。ただこれは競技人口が多いということではなく、多くの人たちに野球チームの存在が認知されているということ。この街の新聞に取り上げられることも多いです。もし他の街で野球のユニフォームを着た子たちが歩いていたら、一体何の集団かと思うでしょう。ただこの街ではある意味野球が町のシンボルになっています。

チームは日本のように学校の管轄でなく、市の体育委員会が市の代表チームという形で組織しています。現在では強化がより円滑に進むように、市の中心にある攀枝花二中と提携して、学校の中に体育専門クラスを設立し選手の大多数が所属しています。

彼らのルーティーンはまず朝7:40から一時間目がスタート、昼休みを挟んで午後も3時過ぎまで授業を受けます。その後体育クラスの生徒(他に陸上、ソフトボール部員が在籍)は練習を開始します。当然他の生徒は授業を受けていますが体育クラスは学校側の好意もあって練習時間を確保してもらっています。練習は毎日3時間程度午後6時半くらいまで行います。ただこれなら日本の私立高校の運動部と同じじゃないかと思うかもしれませんが、ここからがちょっと違う。野球をやっていても立派な社会人になって欲しいという学校側、体育委員会側の願いもあって彼らは練習終了後、午後7:00過ぎから10:00近くまで再び学校に戻って勉強しているんです。どうですかこの頑張り!!はっきり言って自分が彼らの立場なら耐えられないでしょう。だってこれだと彼らの自由な時間っていうのはほとんどないんです。土日は一日中練習ですから自分の親とゆっくり話す時間もありません。確かに親御さんからはやり過ぎじゃないかという声もあります。しかし子どもたちは非常に前向きに取り組んでくれています。

自分は日本で教員をやっていたこともあって、よく日本と中国の子を比べて見てしまいます。こんな生活日本の中学生に耐えられるでしょうか。最近つくづく感じるのですが、中国の子どもたちはホントにタフです。今年の6月チームは北京で合宿を張りました。その際経費が絶対的に不足していた為、ここから北京まで列車で移動したんです。なんと46時間!!しかも寝台車ではなく「硬座」とよばれる一般車両で。この車両は本当に汚く、しかも恐ろしいほど混んでいる。例えるなら終戦直後の日本の列車でしょうか。しかしうちの選手たちは夜のスリと戦い、後ろの席の赤ちゃんがお漏らししたウンチにも負けず、北京までたどり着き、その日の午後から普通に練習していました。もし仮に日本の中学生をあの列車に乗せたら何人が無事に着けるか、そのとき改めてこの子達のたくましさを痛感しました。

自分のチームながら、選手たちは本当に頑張っています。道具もまったくない中で、自分たちで道具を作って全国優勝するまでになった先輩たちの情熱が、今の子どもたちにも脈々と受け継がれています。


周さん の 独り言

前回も紹介しましたうちのチームの総責任者周さん。彼はホント愛すべきオヤジ。彼は日本に4回行ったことがあります。当然野球の試合で。中国国内でも日本人と仕事をする機会が多かったので、たくさんの日本人とお知り合い。だから日本人の気持ち、考えも他の中国人よりよくわかってくれる。そんな彼にも怖いものがただひとつ。それは奥さんの王さん。(中国は夫婦別姓)確かに自分から見てもちょっと怖い。この王さん態度も怖いが、顔も怖い。今回は彼女の写真はちょっと載せられないですが、次回以降必ず掲載させていただきます。今日も自分と二人で車に乗っていて、周さんが一言、

「結婚は早まるなよ、大切なのは40歳過ぎてから幸せかどうかだ・・。」

女性が強いのは日本も中国も同じか・・・・。


終わりに 

前回の通信に関してたくさんのリアクションありがとうございました。今後も継続して書いていきたいと思いますのでよろしくお願いいたします。

日本など多くの国では新年を迎える準備で慌しく過ごされていることと思います。中国では旧正月(今年は2月1日)を盛大に祝うため、今日も通常の業務でした。自分は去年の12月にJICA(国際協力事業団)の青年海外協力隊員として中国に赴任して2回目の正月になります。長かったようで、何もしなかった年が終わり任期もあと1年、来年はこの通信を中心にチームの広報活動に力を入れて、厳しい条件の中で野球に打ち込むこの街の人たちに少しでもよい環境を提供できればと思っています。次回以降の通信も重ねてよろしくお願いいたします。

皆さまにとって2003年も良い年でありますように中国の山奥より祈っております。

 

お願い

このメールに関してご意見ご感想をどしどしおよせいただければ幸いです。同時に現在我がチームではチームのPR活動に非常に力を入れております。ご迷惑でなければこの記事をお知り合い、ご友人にどんどん転送していただければと思います。重ねてよろしくお願いいたします。

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