北京に暮らして
 

2.私の北京、子供たちの北京

私は1983年に北京に留学した。私は自分の意思で北京にやってきた。
あの当時は中国の人たちにいわせても「何もなかった時代」だったが、留学生として楽しく暮らしていた。

子供たちは、1998年に父親の転勤で北京に連れてこられた。
それまではアメリカで暮らしていた。
「日本に帰るのもいやだったのに、どうして北京?」
それが子供たちの気持ちだったと思う。

私にしてみれば、90年以来久しぶりに訪れた北京は何でもあった。
中国の人たちにいわせても「何もなかった時代」に北京で過ごしていた私はそう感じた。
子供たちは、世界の先進国からやってきて不便なところばかりが目に付いた。
そして目に付くのはマイナスイメージばかり。

北京にきた4日目から学校に通い始めた娘は、涙ながらに私に訴えた。
「どうして中国の人たちは……」
それでも北京に暮らして4年。北京の生活にもなれてきた。
「どうして中国の人たちは……」と思うこともまだあるけれど、マーケットで
値引きができるようになってきた。

私は、高卒で北京にやってきたから、中国語はできなかったけれど漢字は相当わかったし、漢字で苦労することはなかった。
苦労があるとすれば、どうしても漢字に頼ってしまうということだった。
それでも留学して半年経つころには日常会話には苦労しなくなった。
とはいえ、未だにそのレベルだという噂もある(^^ゞ

子供たちは、幼くて北京にやってきた。
両親とも中国語には不自由しないので、
親が中国語のできない同級生に比べて危機感がないためなかなか上達しない。
でもお姉ちゃんのほうは、両親がいないときにお手伝いさんと意思疎通を図らなくてはならず、少しずつだが中国語を覚えた。
ところが息子は、父親に母親、..最悪でも姉がいる!という安心感で中国語を覚えようとしない。
滞在5年目。子供たちは信じられないほど中国語ができない。
外国人ばかりの学校に通っているということを差し引いてもだ。
そんな子供たちの大好きなお兄ちゃんは中国人のお兄ちゃん。
ただこのお兄ちゃんの得意科目は英語だ。

私が留学生の頃は、中国の人達の家庭を自由に訪問することはできなかった。
あるときなど「なるべく地味な服、家に着くまで話をするな!バスの車掌に笑いかけるな!すぐに日本人だとわかってしまう」という注意のもと遊びに行ったこともある。
子供たちの場合、前述のお兄ちゃんにつれられ、お兄ちゃんのおばあちゃんの家や、お兄ちゃんの家や、お兄ちゃんの学校にまでついていく。
そして夜遅くなって、お兄ちゃんのお父さんの自家用車で家に送られて帰ってくる。

私達親子の体験している北京は始まりからこんなに違う。
それでも現在、北京にいることがとても楽しい。
できるだけ長く、北京にいたいとそう思っている。

 
このコーナーは、Ojinさん主宰の≪WEB_熱線≫=市井から見た中国=というメールマガジンに掲載されたぽんずの雑文を転載しています。

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(c)中国歴史・習慣・風俗の雑記帳「ぽんずのページ」2009