TOP>>中国の思い出いろいろ>>

ともちゃんの中国旅行記-3 <開封-鄭州-北京>


中原はまだ夏のような天気でした。抜けるような青空、強烈な日差し。うっかりすると日射病や熱射病になってしまいます。しかし乾いているので、日陰に入ると爽快です。毎日、三十度前後まで気温が上がりました。ところが、開封二日目の夕方。ざあっと強烈な風がふいてきたかと思うと、一天、にわかにかきくもりました。雲ではありません。黄砂です。あっという間に、街は数十メートル先がけぶってみえない状態に。ハードコンタクトを使っている私は、目を開けられなくなってしまいました。土産物屋のお姉さんによると、開封はいつもこうで、大風が吹くのだそうです。びっくり。

バスで鄭州に戻り、北京行きの寝台列車に乗る前に、鄭州から黄河を見に行きました。開封の方が黄河自体には近いのですが、観光スポットとしては鄭州の方が面白そうでした(開封は「橋が架かっている」だけだそうです)。タクシーの運転手に尋ねたところ、150元で往復してくれるとのことで、それで交渉成立としました。面包でなく、乗り心地がよい乗用車型で、午後中借り切ったにしては、適正な価格だったと思います。

運転手さんはタクシー会社の管理職だそうで、親切な人でした。名刺によると「鄭州経緯集団公司六大隊」の隊長さんです。鄭州の龍頭公司系列のタクシー会社で、千五百台のタクシーを運行しているとのことでした。我々が鄭州の北西数十キロにある「(こざとへんに亡mang2)山」に行きたいというと、「黄河遊覧区の正面入り口からは車で入れない。正面から山に登ったらとても時間がかかるから脇から入ってやる」といって、山の中腹、リフト乗り場まで車でつけてくれました。入山料二十元にリフト代も入っています。

実は私は、項羽と劉邦が戦った古戦場の山をみたかったのです。鄭州の人に尋ねたところ「ああ、mang2山ね」と言ったので、「この山に劉邦がたて篭ったのか」と、感慨に浸っていたのですが……山に登ってから聞いてみると、古戦場はmang2山のさらに西十六キロにあり、mang2山から行くなら黄河に出て船で見に行くしかない、ということでした。残念。でも、古戦場の山はmang2山と大して変わらない風景だそうですので、まあいいか……この古戦場は、秦が滅びた後、いよいよ中原で項羽と真っ向からにらみあった劉邦が、負け続けた挙げ句に立てこもった秦の食糧倉庫です。当時の名を「広武山」と言います。劉邦が豊富な食糧を押さえて篭城し、韓信らと大包囲網を作ったために形勢が逆転、物語は項羽最後の地となる垓下の戦いへと進む……という、いわば前漢誕生の鍵を握る古戦場なのです。(オタクな解説ですみません^^;)

さて、スキー場のような二人乗りのリフトは、十分ほどかけて山をゆっくり登ります。黄色い土に覆われた山肌に、へばりつくように背の低い木が生えています。リフトから見下ろすと、山西省によく見られる窯洞、つまり現役の横穴式住居がいくつか。アーチ型の入り口にに紅い対連がはってあります。

頂上でリフトから下り、佐藤姐姐と二人で思わず、同時に歓声をあげました。黄河が……西のかなたから龍のようにうねって東のかなたに消えてゆきます。小さな街ならいくつも入りそうな川幅の対岸には、豊かそうな畑が一面に広がっています。東側に一条、黄河を跨ぐ細い橋が。その上をゆっくりと列車が進みます。清代にできた大橋で、上を走る列車は、我々が今晩、乗るはずの北京行きの列車。何度も映画やテレビで見たし、一度は列車で越えたことがある黄河ですが、やはりその存在感は圧倒的です。

山を下りると、運転手さんは黄河のほとりに連れていってくれました。普通は車で入らないようですが、彼は強引にでこぼこ道に進入しました。そこは黄河が上流から運ぶ黄色い泥が溜まってできた陸地。なぜか乗馬ができるようになっていて、勧誘がなかなかうるさかったです。「黄河の縁で写真を撮ろう(^^)」と、川縁に行きかけたら佐藤姐姐のお声が……「黄河が岸を削ってる!!」。みると、今まさに立とうとしていた場所が、ぼこっと一気に川面に落ち込んだところでした(^^;。あぶなーい。

帰りは、鄭州一の繁華街、二七路にある台湾系のデパート「丹尼斯」で下ろしてもらいました。ここの一階にあるファーストフードチェーン「徳克士(DICOS)」のコーヒーは、多少薄いものの、比較的まともでした。四元。店内はイトキンなど日本でもよく見るブランドが入っています。ぴかぴかにきれい……なのですが、トイレはやっぱり(^^;。

かたじけなくもまた老師のお姉様に晩御飯をごちそうになり、北京西行きの特快180に乗り込みました。軟臥のコンパートメントは驚くほどきれいで、なんとトイレや洗面所も日本の新幹線なみに清潔でした。きゃー(^^)。驚いたことにはミネラルウォーター、牛乳、ばかでかいチョコレートパンのセットを無料で配る気前のよさ。個室では中国の大蔵省のお役人二人と一緒になりましたが、疲れていたのであまり難しいことは話さずに終わりました。笑ったのは「日本は経済問題が深刻で、海外旅行になんか来られないんじゃなかったの?」というお言葉。どういう報道のされかたをしているのだろう(^^;。旅行中に目にした、日本の経済に関するニュースは「大丸が日本の不景気の影響で香港から撤退する」というものだけでしたが……。

翌朝7:00過ぎ、無事に列車は北京西駅に滑り込みました。
新しくできた北京西駅はきれいな建物だったのですが、帰国後、轡田さんに紹介していただいた雑誌「新週刊」を読んでぎょっとしました。危険な欠陥建築なんだそうです(^^;。いやー気が付かなかった。

開封編で書き落としたレストランを紹介しておきます。
○鼓楼夜市:大相国寺の北で毎晩、開店する、大規模な屋台街です。果物・串焼き・小喫など何でもあります。これのために道路が渋滞します。バス停は「鼓楼夜市」。
○又一新飯荘:一人二十数元でお腹一杯。上の階に京劇を見られる舞台もある、高級レストランです。この辺の日程で私はお腹を壊していたので、味をよく覚えていません(^^;。佐藤姐姐、どうでしたっけ? 場所は鼓楼夜市の少し東です。
○第一楼包子館:一品がやたらに多い包子専門店です。隣のテーブルの客はさんざん食べ残してテイクアウトしていました(箱代をとられる)。店内にステージがあり、雑技・歌・ファッションショーの実演をしていました。一人二十数元??? 鼓楼夜市の少し西、行宮商厦の前にあります。


<<その2<<

>>その4>>

 


>> TOP >>

(c)中国歴史・習慣・風俗の雑記帳「ぽんずのページ」2009