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ともちゃんの中国旅行記-2 <鄭州-開封>
さて、バスで開封に行くにあたり、街の東側にある国際飯店から、街の真ん中の駅前バスターミナルまでタクシーでむかいます。
ちなみに鄭州のタクシーは面包が中心で、とても安く、初乗り六キロまで六元、加算一キロ一元。空調つきバス(二元)に二人で乗る値段とあまり変わりません。で、「駅前バスターミナルまで」といって面包に乗ったのですが、我々が開封に行くことを知った運転手が「なんだ、開封なら駅前でなくてホテルから近い東バスターミナルからのほうが便利だよ」と教えてくれたので、行き先を変更しました。なんて親切なんでしょう。でも「俺がこのまま開封までいってやろうか」というお申し出は謹んでお断りいたしました(^^;。鄭州では面包の運転手は五、六千元の月収があるそうです。そのせいか明るい人でした(^^)。東バスターミナルで、十分後に発車する開封行きのバスの切符をゲット。たしか10元、9元、6・5元の三種類がありました(違ったかも^^;)。バスの設備と途中駅にとまるかどうかで値段が違うようで、我々はリッチに10元の空調・テレビ付き急行バスにいたしました。切符の発券はコンピューターで空席状況をチェックして行われました。窓口の向こうだけ妙に現代的で、不思議な光景でした。そして、おお! バスが定刻に発車したではありませんか!!テレビで香港映画(セリフは普通話、字幕は広東語)を流しつつ、一路、東の開封へと向かいます。
鄭州の東の外れで高速道路の工事をしており、かなり渋滞したものの、そこを抜ければ広い国道を順調に飛ばします。車窓からは収穫を前にした豊かな畑や集落の風景が楽しめます。この辺はそれこそ二千年以上昔から、中原文化の中心地であったはずの地域です。そこらへんを少し掘れば、ざくざく昔の遺跡が出てくるのだろうな……なんて想像しながら外を見ていると、さりげなく「官渡鎮人民政府」の建物が。三国志で曹操と袁紹がぶつかった、あの官渡では?わけもなく感激していると、突然、大渋滞に巻き込まれてしまいました。三十分以上、にっちもさっちも進みません。前方で事故があったようです。ようやく現場の脇を抜けてみると、何と我々の乗ったバスと同じようなバスが黒こげになっており、その後ろに石炭を積んだトラックともう一台が追突するという大事故でした。死傷者が結構出たのではないでしょうか。いやはやひやりとしました。運転手さん安全運転で行こうね……
そんなこんなで開封まで二時間以上。ホテル探しが面倒くさかったので、地球の歩き方に乗っていた三つ星の東京大飯店にしました。八十元のドミトリーから高額のメゾネットタイプ(!!)までありましたが、我々は標準タイプのツインの中くらいで一泊286元の部屋を選びました。押金は二泊で八百元(うち百元は鍵の分)……戻ってくるとはいえ、こういうのが負担なんだよな……
開封は南北四キロ、東西三キロ程度と、歩き回るにはちょうどいい大きさの街です。バスの本数はそれほど多くないのですが、タクシーが鄭州よりさらに安く初乗り五元(五キロまで)、加算一キロ一元。そりゃ、普通のバスなら五角ですから、来ればバスの方がいいのですが、タクシーも便利に使いました。
言うまでもなく北宋の首都として栄えた街で、低い城壁に囲まれた街のいたるところにその面影が残っています。昔の宮殿跡は龍亭公園という水上公園になっていますが、その南側の入り口付近が数百メートルに渡って「宋都御街」として宋代の商店街を再現した町並みになっています。といってもお店はごく一般的な現代のもの。ここの餃子専門店でお昼を食べました。一人十元でお腹一杯。特においしかったのは一元で食べたワンタン。具沢山で皮がつるり、スープはあっさり味で日本人の舌によくあいました。店内に「餃子師だれそれ」「ワンタン師だれそれ」と書かれた金看板がずらりと掲げてあります。そんな資格があったのか……ところが肝心の餃子は、量がめちゃめちゃ多い上に選択を誤ってしまい、今一つでした。「ごま餃子」というのを頼んだのですが、餡がごま味というのではなく普通の餃子に薄くて脂っこいごま煎餅がついている、というシロモノだったのです。
大相国寺や鉄塔ももちろんよかったのですが、それ以上に印象深かったのは、城外南部にある繁塔でした。千年ほど前に建てられた仏塔で、元は九層だったのが崩れて三層になり、清代になって、てっぺんに帽子のような小塔を建て増しました。壁面をぎっしりと、タイルの仏像が覆っていて、きれいな塔でした。う王台公園のすぐそば、人家に囲まれた中にあります。入り口が非常にわかりにくく、煉瓦づくりの人家の壁に白いペンキで手書きされた「繁塔→」という矢印を半信半疑にたどって人一人がやっと通れる露地をくぐると、人の家の庭のようなところに入り口がありました。入場料三元。観光客などあまりこないと見えます。
塔から出ると、のんびりと「とーふーい、とーふー」と豆腐花を売り歩くおじさんとすれ違いました。いや、本当に、呼び声がそうきこえたのです。日本のお豆腐やさんと全くといっていいほど同じ調子でした。豆腐売りのルーツここにあり?(んなわけないか^^;)
ここで、ペルシャと何かの雑種のようなきれいな飼い猫と、ぬいぐるみみたいなむくむくの飼い犬に会いました。ペットは一般的に飼われているようですね。ほか、宋代に山西・陜西・甘粛の商人が資金を出し合って作った商業会館である山陜甘会館(十元)も、軒下の飾りが精巧でよかったです。珍しい道教の寺院である延慶観(五元?すみません切符がなくなってしまいました)も楽しめました。
開封の観光ポイントは、どこも夜七時くらいまで開放しており、ゆっくり見ることができました。それにしても、観光都市の割に、大型観光バスも団体客もほとんどみかけませんでした。ましてや日本人には一人もあいませんでした。ここって、一般的な観光地じゃないのかしら?
開封を見たあとは、鄭州経由で北京へ戻ります。
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(c)中国歴史・習慣・風俗の雑記帳「ぽんずのページ」2009