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ともちゃんの中国旅行記-1 <日本-北京-鄭州> 1998年9月10日~19日

著者紹介は、旅行記-4の一番最後にあります)


九月十日から十九日まで、Pengyou仲間の佐藤姐姐と北京・鄭州・開封を回ってきました。鄭州では老師のお姉様とそのご子息夫妻に、北京では小池さん・尾上さん・轡田さんに、本当にお世話になりました。この場を借りて、まずはお礼申し上げます。
北京情報はお住まいの方のほうがずっと詳しいことと存じますが、鄭州・開封という中原の街は、意外に訪ねたことがある人が少ないのではないでしょうか。ふつつかながら旅行記の形でご報告させていただければと思います。ご興味のない方は、恐れ入りますがしばらくの間、読み飛ばしてお付き合いくださいませ。

昨年、泰山に登ったときにJTBの格安航空券&ホテルポイントのセット商品が便利だったため、今年もそれを利用しようと思ったのですが、何と今年は中国だけ、この商品が発売中止になったとのこと。そこで、インターネットで、中国に強そうで、なおかつ安そうな旅行社を探し、ピースインツアーという会社に航空券などの手配をお願いすることにしました。
観光ビザ一次七千円、往復UA七万八千円、ほかに国内の移動手段と北京のホテルも手配を頼んでしまいました。総額一人で十四万円弱でした。お互い仕事がつまっていたし、ゆっくり休みたかったので、あえて格安を追求するのはやめました。いいの。ボーナス出たから(^^;

十日の晩に北京について、空港から十七キロの燕翔飯店(三つ星・ツイン9200円)に一泊。今は北京空港から市内まで民航班車(リムジン、16元)があるのですが、あいにく高速道路の途中にあるこのホテルには泊まらなかったため、タクシーを使うことにしました。タクシー乗り場の長蛇の列に並べばまともなタクシーにありつけます。

ところが我々の運転手、どうやら燕翔飯店を知らないらしい。口では「知ってるよ」と言うのですが、高速道路をどこで下りるのか聞かれてしまい困りました。私も地図を見ただけで、行ったことはなかったのですから。でも、あてずっぽうに「次の出口(大山子)でしょ」といったらどんぴしゃ。結果的には最短距離で到着しました。やれやれ。四十五元プラス高速道路代十元でした。

翌日朝、国内線飛行機で鄭州へ。実は個人旅行で国内線航空を使うのは、しかも北京空港から乗るのは初めて。インターネットで情報を集めたら「国内線は出発ロビーがとてもわかりにくい」ということでしたので、ちょっと不安でした。事前に日野@長春さん、安田@上海(現在^^;)さんらに色々教えていただきました。ありがとうございました。行ってみたら何ということはなく、放送も聞き取りやすい普通話&英語。四十分の遅れで無事に鄭州に行き付けました。脅かさないでほしいなあ、もう>ネット情報(^^;。ちなみに中国南方航空でした。

鄭州の新空港は市内から東に約三十キロ離れており、交通不便です。市内までリムジンがあるようですが、我々は、老師の甥である紳士が迎えに来てくださったためにとてもスムーズに市内に入ることができました。何とお仕事を途中で抜けてこられたのだそうです。ひゃあーーごめんなさい。本当に本当にありがとうございました!!
老師のお姉様が、何と鄭州の国際飯店(三つ星)を予約しておいてくださいました。ツイン一泊三百六十元。しかし押金に二千元またはクレジットカード、というシステムにはたまげました。

中原で一番おいしいお姉様の手料理をごちそうになったあと、病院の看護部主任をなさっているお嫁さんがホテルに送ってくださいました。ああ……感謝感激……素晴らしい体験でした。お姉様はわざわざ日本人の好みに合わせて「日本人は肉より魚や野菜が好きなんでしょう」と、鯉の蒸したのやら野菜たっぷりの料理をたくさん用意してくださいました。いやーこれまで大陸で食べたもののなかで一番おいしい料理でした!! お嫁さんは宋慶齢そっくりの知的な美女で、この人に看護されたら安心だろうなと思えるような、しっかりして優しいお人柄でした。ここでお礼を言ってもお耳に届かないのは百も承知ですが、何度お礼を申し上げても足りないくらいです。

旅行前に、各方面から「鄭州なんかで何を見るの?」というお言葉をいただきましたが(^^;、鄭州は大都市だし楽しかったです。中心部に商代の城壁が残っており、無料で開放されています。市民の憩いの場かつ格好のデートコースとなっていました。
夜は「紅いコーリャン(紅高粱)」というチェーン店で、鄭州名物の羊肉(火会)麺(六元)に挑戦。こってりしたスープでおいしかったです。麺は手打ちで、厨房で打っているそうです。この辺の話は佐藤姐姐こと「麺評論家」にお願いしようかしら。

翌日、国際飯店から出発する少林寺一日ツアーに参加しました。一人八十元、だったと思いますが七十元だったかも知れません(^^;。中国人向けですが、この日は我々以外に四人、日本人がいました。乗った中巴は、市内のホテルで参加者を拾ってゆきます。

目的地の少林寺は、ばりばりに観光地化されており、思ったほどの感慨はありませんでした。入山料四十元には少林寺・塔林など五個所の入場券がセットされていましたが、上記二個所以外は、はっきりいって笑ってしまいました。中でも笑ったのが、ジェットコースター・激流下りなど、とにかく振り回す系の映像をみながら椅子ごと振り回される「科幻探検館」(^^;。こういう企画を立てられるお金と技術があるなら、ほかにもっと、何かできることがあったでしょ! と感じたのは我々だけではなかったようで、中国人のおじさんも「子供と一緒ならともかく、全然面白くないわい」と言っていました。

それより、おまけに付いていた「観星台」(元代の天文観測台。北京にあるものと同じように、日時計で時刻や季節を知る。水時計もあった。門票十元)、「嵩陽書院」(中国四大書院の一つで、北魏(五世紀後半)に建てられたもの。もっとも現存の建物は明か清のもの。門票八元)などのほうがよほど雰囲気がよく見ごたえがありました。コースに入っていた中岳廟は時間切れで行かずじまい。科幻探検館よりこっちに行きたかったぞ(^^;。

何よりの拾い物は、はじめに立ち寄った新密市の打虎亭漢墓でした。地球の歩き方をみて一番行きたかった場所でしたが、期待を裏切らず、すばらしいものでした。一号墓・二号墓が開放されており、圧巻は壁画です。一号墓では白黒の影のような人物像が出迎えてくれ、奥に入ると、墓の主の生前の生活の様子が生き生きと描かれています。厨房や馬車、そして接客の様子…暗い室内で黒い影であるだけに、一層あやしく現実味を帯びて見えてきます。そして二号墓。こちらは打って変わって色鮮やかな彩色で、漢代の美女があでやかな衣装を競い、壁面いっぱいに描かれた宴会の様子は今にも食器のふれあう音が聞こえてきそう。相撲をとる力士の図、慌ただしく馬を下りる客人たち……二千年近く昔に、これほど豪奢な生活をしていたなんて。これで門票十元は格安です。
そうそう、墓の主は後漢の弘農郡太守であった張伯雅だと考えられています。
鄭州から行こうとすると恐らくタクシーをチャーターするしか手がないので、少林寺一日ツアーでみてしまうのはまあまあ賢い選択だったと思われます。もっとゆっくりしたかったなあ……科幻探検館はどうでもいいから(まだ言ってる^^;)。

新密市と少林寺では別々のガイドのお姉さんがついたのですが、いやー河南なまりはわからない(^^;。中国人も時々わからないようで、北京からきた図書館司書のおばさまは「このガイドは普通話がヘタ!」と言い切っていました。でも彼女はいい人で、鮮やかな北京語で我々に、ガイドのお姉さんのセリフを「通訳」してくれました。ありがとうございました(^o^)。お昼ご飯のときも、連れて行かれたお店で食べようとしたら「こういうところは旅行社が賄賂をとっていて割高なの。むこうで食べましょう」と、安いお店に連れていってくれて助かりました。食べおわって戻ったときにはガイドに「みんなでまとまってさっさと行動するために同じ店で食事したんでしょ!」と怒られましたが(^^;、食事代はなるほど半額ですみました((火会)麺、五元)……

少林寺から無事に帰り、晩御飯はホテルの近くのレストランで。佐藤姐姐の「混んでいる店はおいしい」という説に従って店を選んだら、本当に安くておいしかったです!
日本では見たことがないラベルのドイツビールまであって(なぜだ^^;)、大満足でした。
一人総計二十元くらいでしたか。帰りに国際飯店の隣のホリデイ・インでコーヒータイム。
十八元で、とてもまともなコーヒーにありつきました。感激。

翌日は、バスで開封に向かいます。


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(c)中国歴史・習慣・風俗の雑記帳「ぽんずのページ」2009


 

 

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