2004年1月12日 No,29
 
 「本当に帰ってきてしまった・・・。」というのが率直な感想なのかもしれません。先週、2年間の中国での生活を終えて日本に帰国しました。2001年12月3日、風がやけに冷たかった北京首都空港に降り立って以来、うれしいこと、楽しいこと、感動したこと、口惜しかったこと、興奮したこと、緊張したこと、悲しかったこと、本当にいろいろあった2年間、多くの人に支えられ、なんとか活動期間を全うすることが出来ました。帰りたくて仕方がなかった日本に到着して、やっぱり少しの寂しさがあったのは、あんなに嫌いだった中国が、自分の中でとても大きな存在になってしまったからなのでしょう。でも今現在ではこの期間が自分に具体的にどんな影響を与え、どう変化したかはよくわかりません。きっともう少し時間がたったら色々なものが改めて見えてくるのではないかと感じています。そして今はただ、国籍を問わず、この2年間自分が接した全ての人に「ありがとう」と言いたいです。

 通信最終号よろしくお願いします。


感謝の言葉

 前日から液体物の摂取を極力控え、当日は朝からウィンドブレーカーを着込み5キロの走り込みを決行し、タイトルマッチ前のボクサーのように調整して臨んだ選手たちとのお別れ会。自分の体内にはほとんど水分がなかったはずなのに、やっぱり泣いてしまいました・・・・。「日本男児たるもの、人前で涙は見せてはいけない」という亡き祖父の厳格な教えも、2年間苦楽をともにした子どもたちとの別れの前にはもろくも崩れ去り、結果、えせ日本男児はただただティッシュで目頭を押さえるばかりでした。 

 2年前にはじめて攀枝花に着任した時は、不安よりも今後について全くイメージがつかめないというのが実感でした。具体的なビジョンがなかったので、毎日毎日目の前にある課題を片付けていくしかなく、しかしその作業を通じて徐々に環境にも慣れ、活動が軌道に乗っていったような気がします。その後中国側のコーチ、同僚との軋轢、自分への不信など色々な問題は当然ありました。しかしこの通信上でも何度も書いているように、体育局の人たちも、選手たちも自分を非常に尊重してくれ、問題解決に真剣に努力してくれました。「あいつは日本人だから」と考えるのではなく、中国人と同じように接して、時には厳しい意見も伝えてきた彼らのおかげで、自分もより深くこの国に入り込み活動に没頭することが出来ました。彼らには非常に感謝していますし、自分は非常に幸運だったと思います。

 また選手たちと過ごした日々は一生忘れることの出来ない思い出となりました。当初は言葉もろくに通じない中で、時には中国人コーチとは違う要求に戸惑うこともあったはずですが、そんな中でも積極的に自分の要求を理解し、毎日の練習に取り組んでくれました。

 自分は言葉が違う国の人々と交流するうえでスポーツほど有効な手段はないと確信しています。実際自分の選手たちも、毎日日本人とともに過ごすという中国の同世代の子どもたちが出来ない経験を通じて、教科書では習わない日本観をもち、映画の中とは違う日本人の姿を知ってくれたと思います。そして自分自身も、毎日の練習を通じて普通では知ることのできない中国人の感性、心の動きを感じ、新たな中国観を持つことが出来ました。好き嫌いではなく、ひとりのコーチと選手としてお互いを信じて目標に向かって努力し、そして結果的にお互いの文化や習慣を許容できるようになる。これこそが今後の国際交流でもっとも求められていくことではないかと思います。育った環境が違っても、言葉が通じなくても、絶対に分かり合うことは出来る。今まで気づかなかったスポーツの大きな力を実感したこの2年間でした。

練習初日「日本人は嫌いです」と自分に直接言ってきた子。

真夏の練習で自分のノックを受け続け、脱水症状で病院に運ばれた子。

きつい練習になると必ず仮病をつかって休む子。

「試合に出たい」と泣きながら訴えてきた子。

「帰国しないで」とわざわざ家にまで訪ねてきてくれた子。

彼らのおかげで自分はこの2年間頑張ってこられました。そして彼らのおかげで自分も大きく成長できたような気がします。野球を続けナショナルチーム入りを目指す人、野球から離れ大学入試に向けて猛勉強中の人、もう社会に出て頑張っている人、それぞれ目指す道は違いますが、彼らの可能性に自分は非常に自信を持っています。いつかの日か成長した彼らに会えるのを楽しみにしています。

 またこの2年間、物心両面にわたり非常に多くの皆様からご支援ご協力を頂きました。中国を離れる際にご挨拶できなかった方もたくさんいらっしゃいます。この場をかりてお詫びするとともに、改めて感謝いたします。ありがとうございました。今後また世界のどこかでお会いできればと思っております。

 自分自身の今後の身の振り方についてはまだ具体的に決まっておりませんが、中国で選手たちからもらった勇気と情熱を胸に、気分一新頑張っていきたいと思います。もう帰国してしまったので「攀枝花通信」は書くことが出来ませんが、いずれ皆様にもまた近況報告させていただこうと思っています。

最後になりましたが皆様のご健康とご多幸をお祈り申し上げるとともに、今後日中両国のますますの友好親善を強く期待し、最後の挨拶に代えさせていただきます。

2004年1月19日

煤孫 泰洋

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