16. 西湖十景


西湖の名前の由来

北宋の詩人蘇東波はこの湖をこよなく愛し、その詩の中で中国古代の美女西施にたとえて「西子湖」と詠んたことから、西湖と呼ばれるようになったといわれています。

ただ単純に、杭州城の西に位置しているから、というよりも素敵ですね。

西湖十景とは

西湖は面積5.6平方KMの天然湖です。白堤、蘇堤の2本堤と湖をめぐる特に美しい風景を「西湖十景」といます。四季おりおりの美しい姿は有名です。南宋の時代、宮廷の絵を描いていた翰林図画院(略称画院)の絵師たちが、山水画のテーマとしていた十景が始まりだと言われています。

その十景は「蘇堤春暁」「曲院風荷」「平湖秋月」「柳浪聞鶯」「断橋残雪」「花港観魚」「双峰挿雲」「南屏晩鐘」「三潭印月」「雷峰夕照」です。

康熙帝が康煕三十八年(1699)に杭州を訪れたときに十景を題し、四十一年にそれを石碑に刻みました。このとき十景の名前がかえられたものもあります。清朝の皇帝は文字の獄などでも有名なように、文字に関して過敏なぐらいに反応していた事を思い起こして見てください。

それでは西湖十景をご紹介しましょう。

蘇堤春暁
歴史でもご紹介した蘇東坡がつくった堤。ここの春の朝の風景は昔からとても美しいと言われています。民謡にも「西湖景致六吊橋、一枝楊柳一枝桃」と歌われています。六吊橋は、堤にある映波、鎖瀾、望山、圧堤、東浦、跨虹6つの橋のことでです。朝霧の中の散歩はお勧め。
平湖秋月
白堤の西に突き出た形で八角亭がある。三面を湖に囲まれたこの場所は、お月見には絶好の場所。湖に映る秋の月も美しい。
曲院とは宋の時代、宮廷用の酒を作っていた場所。曲は昔は麥の字がついていた文字だったが、康熙帝により「曲」に改められた。この一帯には多くの蓮が栽培され、花が咲いている季節にはさわやかな蓮の香りがいったいに漂う。その事からこの名前がついた。ちなみに現在でも100種以上の蓮が植えられていると言う。
南屏晩鐘
西湖南岸の南屏山には浄慈寺という寺院があり、毎晩僧侶が鐘を鳴らしていました。鐘の音は夕霧にかすむ山々に響き、人々を感動させたと言いう。
柳浪聞鶯
西湖東岸の涌金門(または湧金門)から清波門にかけての一帯には聚景園という御苑があり、湖岸の柳の美しさ、そしてそれを背景に鳴くうぐいすの声が有名であった。また多くの樹木も植えられているが、唐代の詩人劉禹錫は「桃紅李白皆夸好、須得垂柳相発揮」と詞に詠んだ。参考までにこの地には「日中不再戦」の碑もあります。
雷峰夕照
西湖の南岸浄慈寺前の小さな山、雷峰。夕陽に照らされたそこの塔は美しかったと伝えられている。「夕陽」が気に入らなかった康熙帝は「暁照」にかえ、碑にはそう揮毫されている。1924年に崩れた塔が2002年11月再建された。この塔は白蛇伝のお話しでも有名。「黄妃古塔勢穹窿、蒼翠藤夢兀倚空、奇景那知縁劫火、孤峰斜映夕陽紅」と清の許承祖は詩に詠んだ。黄妃古塔とは雷峰の別名。この塔が呉越の王銭弘俶が黄妃の男児出産を祝って建てた事からそう呼ばれている。
三潭印月
西湖の中央から少々南よりに小瀛洲がある。蘇東坡は杭州在任中に、西湖の浚渫を好くするため、この場所に菱などを植える事を禁じるための標識として塔を建てたという。この塔はなくなったが明の時代に不思議な形をした石塔が3基建てられた。塔の中は空洞で、回りに五つの円形の洞がある。中にはろうそくがともされるようになっており、紙を貼った洞から映ったろうそくの光は月のように見えるという。「青山如髷月華濃、塔影浮沈映水空。只恐青風生両腋、夜深飛入蕊珠宮」とかつて詠まれた。
花港観魚
西湖の南西の角にそうの時代内侍官盧允昇の別送があり盧園といった。、そこの庭園の池で鯉や金魚が多く飼われていたと言う。かつてここには小川が注ぎ込み、そのため「花港」といわれていた。南宋の宮廷画家馬遠などが西湖十景を選んだときに、この盧園を選び、この名前がつけられた。鯉以外に、牡丹も有名。
断橋残雪
断橋は白蛇伝の許仙と白娘子が出会う場所として有名で「情人橋」とも言われている。白堤がここで終わる事から断橋という名前がついた。冬の終わり、春の初め、雪解けで橋表面が現れ出したとき、橋が途切れて見える事から「断橋残雪」といわれるようになったという。
双峰挿雲
かつては「両峰挿雲」といった。二つの峰は、北高峰と南高峰。かつては霊隠路洪春橋のたもとに「双峰挿雲亭」があり、二つの峰の上に立っていた仏塔が雲に隠れる様をみて楽しんだと言う。現在その仏塔はないが、二つの峰の間に霧が漂う様は仙境を思わせる。宋の楊万里は「南北高峰巧避人、旋生雲霧半腰横。縦然遮得青蒼面、玉塔双尖分外明」と詩に詠んだ。

 


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中国歴史・習慣・風俗の雑記帳「ぽんずのページ」