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八旗・下五旗


下五旗: 鑲白旗、正紅旗、鑲紅旗、正藍旗、鑲藍旗

皇帝直属ではなく、諸王(満州語でベイレ(貝勒))が統率していました。

鑲白旗

明の万暦二十九年(1601年)作られた。下五旗の一つ。
清朝末期、兵26000、人口13万人を有した。

正紅旗

明の万暦二十九年(1601年)作られた。下五旗の一つ。
規模が一番小さい部隊で、清朝末期、兵23000、人口11.5万人。
有名な作家老舎はこの出身。乾隆帝の官僚和坤もこの出身。

鑲紅旗

明の万暦四十三年(1615年)作られた。下五旗の一つ。
清朝末期、兵26000、人口13万人。
光緒皇帝の愛妃珍妃はこの出身。
注)鑲旗は正旗に赤の縁取りが普通してあるが、鑲紅旗は縁取りと旗の色が一緒になってしまうため、白の縁取りになっている。

正藍旗

明の万暦二十九年(1601年)作られた。もとは上三旗だったが、ドルゴン将軍により格が下げられ下五旗の一つとなる。
清朝末期、兵26000、人口13万人。

鑲藍旗

明の万暦四十三年(1615年)作られた。下五旗の一つ。
清朝末期、兵26000、人口13万人。
現代中国の話芸で有名な故・侯宝林氏はこの出身。

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2012/04/24

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