Pengzi杭州に行く!


フィールドワークを苦手としているPengziがなんと突然杭州へ!

観光というよりは、勉強のための旅行でしたが、Pengziの見てきた杭州をご紹介します。

2003/08/21

 

●旅行の期間: 2003年8月14日~17日
●場所: 北京-上海-烏鎮-杭州-北京
●写真: 烏鎮 杭州

 

8月14日 上海へ

杭州までのチケットが買えず、上海行きのチケットをゲット。乗った列車はT13列車「東方号」。そのなまえにちょっと驚いた。18時08分北京駅発。軟臥のお部屋(500元弱)、液晶テレビ(イヤホン付)もついていてインターホンで服務員を呼ぶこともできる。ベッドの頭の部分に読書灯もあるから私は寝付くまで本を読んでいた。トイレ、洗面所はTOTO!!車内にはバーも!!!これより高級な包房もあるのよねぇ。

8月15日 上海から烏鎮へ

今回の南方行きの目的のひとつは、烏鎮にいき、昔の水郷地帯の生活の様子を見てくること。だから上海駅で列車を降りると、上海では何も見ずにタクシーで烏鎮にむかう。上海(万体体育館)から長距離バスがでているけれど、時間もわからなかったし、時間を無駄にしたくなかったのでタクシーを使った。だけど、運転手が高速の出口を間違えてしまい、結局お金を無駄遣いしてしまったような……。(もちろん、運転手が間違った距離の分は支払いを拒否しました。)

とにかくホテルにチェックインをして、観光に出かける。この町は京杭大運河沿いにあって、そこから枝分かれになっている水路にそって古い町並みが残っている。とりあえず船にのって水路を巡り、そのあと民家の間に設けられている博物館、展示館などを見て回った。(船は一艘50元8人まで。博物館、展示館などは10ヶ所あり、一枚のチケット(60元)になっていました。)

この町は茅盾の故郷として有名だけれど、最近では「似水年華」というテレビドラマの舞台として有名になった。ヒロインが宿泊した宿屋の部屋は500元位で宿泊できると言う話。(でも上海からも蘇州からも、杭州からも日帰りで十分)

8月16日 烏鎮から杭州へ

烏鎮を6時30分の朝一番の長距離バスで杭州へ。宿泊予定のシャングリラに荷物を預け西湖のほとりに出て、その後西の山へ向かうバス停に。霊隠寺に向かおうと思っていたけれど、バス停にいたおばあさんが龍井村に行くように執拗に勧めてくれて、バスに私たちを押し込んでしまった。(^_^.)それで、ま、龍井村にも行く予定にしていたこともあって、行き先を変更、龍井をまず見る。そして龍井十八御茶という乾隆帝ゆかりのお茶の木をみたり、茶畑を歩いたり(これが本来の目的だった)してすごす。歩きに歩いてバスに乗ると、工事による渋滞に巻き込まれる。朝は20分ほどでついたのに帰りはなんと2時間!!ようやく西湖にもどり、老舗の「楼外楼」で「叫化鶏」に「東坡肉」という完全に観光旅行客メニューのお昼。お昼のあとホテルにチェックイン、今度は市内へ。北京の琉璃廠のような、天津の文化街のような、そんな河坊街はかつての繁華街。杭州の歴史で紹介した老舗が並ぶ。そこからちょっとそれて巷を歩いていると「拆」の文字がいたるところに。杭州も再開発真っ只中……。それでも残っている昔の町並みを楽しめた。河坊街を往復したあと、そのまま歩いて西湖湖畔の白蛇伝で有名な雷峰塔を見に出かける。期待通り(?)日本の観光寺院の塔のようなきらびやかな塔に唖然と言うか、呆然と言うか、予想通りというか。そのあたりで歩くのをやめておけばよかったのに「蘇堤」を歩こうと言い出したのは私。って実はワンピースに低めだけどヒールのあるサンダルというスタイル。こんな距離を歩くスタイルじゃなかったわ。歩き始めたころには薄暗くなっていたけれど、「蘇堤」を歩ききってホテルに着いたときにはもう真っ暗。西湖を楽しんだというよりは、歩いた!そのご、同行した友達の知り合いの茶館へ。そこは西湖十景の「柳浪聞鶯」の近く。このあたりちょっと前までは茶館が立ち並んでいたのに、最近ではそれがコーヒーショップにほとんど変わってしまったとか。現在杭州えはコーヒーショップが流行のようでずいぶん見かけた。その茶間で遅くまでお茶とおしゃべりを楽しみホテルへ。

8月17日 杭州から北京へ

同行の友達は、彼女の研究課題にそって霊隠寺へ。ほんとうは私も行く予定だったけれど、前の日靴擦れでちょっとさぼり、ホテル隣の岳廟へ。秦檜らのひざまづいた像ももちろん見たけれど、その後ろにしっかり「痰吐くな!」の文字が。それがなかったら21世紀の今でもつばを吐きつける人がいるのかな。その後、ホテル近くの湖畔を歩き、チェックアウト、タクシーで飛行場へ。そして一路北京へ。

あっというまの、こんどはゆっくりといってみたいなぁという余韻を残した旅でした。

ちなみに泊まったシャングリラは、芥川龍之介が泊まった新新飯店の隣、そして「楼外楼」も芥川龍之介がなんどか食事したレストラン。杭州ではなんどか芥川龍之介を同行の友達と話題にして、芥川龍之介を引きずった旅でした。(その芥川龍之介は杭州が気に入らなかったようですが)そういえば、龍之介は暗くなってから杭州について、駅から新新飯店まで人力車で行ったとのこと。結構遠かっただろうし、龍之介が文章に書いた心細さがなんとなく理解できました。

 


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中国歴史・習慣・風俗の雑記帳「ぽんずのページ」