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この月はいつの月?


天の原ふりさけ見れば春日なる

              三笠の山に出でし月かも

日本人なら百人一首でもおなじみのこの歌はご存知でしょう。これは遣唐使として唐に渡り、玄宗、肅宗、代宗の三人の皇帝に仕えた安倍仲麻呂が詠んだうたです。

ところでこの歌に詠まれている月、いつの季節の、どんな月かご存知ですか?

実は私、長い間、中秋の名月を詠んだものと思っていました。(^^ゞ

それが、中秋の名月について調べていたときに、実はこの月は満月ではあったけれど、季節が違う!ということが判明したのです。

この歌は、仲麻呂が、玄宗のお許しが出て、日本へ帰る船に乗る前に詠んだと伝えられています。それは天寶十二年十一月十六日だったといいます。もともと十五日に明州(浙江省寧波の南)から出向予定だったらしいのですが、1羽の雉が第1船の前を飛んだことを理由に(縁起のよくないことだったのでしょうか)十六日に延期になったとか。そして出向に際し、仲麻呂が詠んだ歌がこの歌だったのです。

ということは、この歌は仲秋(八月)ではなく仲冬(十一月)に詠まれた歌だったんですね。天寶十二年十一月十六日を調べてみると(便利なことに、こういうことが調べられるサイトがあるんですよねぇ)西暦では753年12月15日でした。ということは冬至前の寒い時期の満月だったんですね。詳しく言うと十六日ということは「いざよい」つまり満月次の日だったわけですが、詳しくこの日の月の形を考察した人のホームページによりますと、15.3日でこの月が形としては満月だったとのことです。暦と実際の月の形は微妙にずれていますから。というわけで、仲麻呂が歌に詠んだ月は仲冬の満月でだったということです。

<蛇足>

さて、この歌、五言絶句版もあります。

望郷詩

翹首望長天 神馳奈良辺
三笠山頂上 想又皎月圓

首を翹(あ)げて東天を望めば
神(しん)は馳(は)す 奈良の辺
三笠山頂の上
思ふ 又た皎月(こうげつ)の円(まどか)なるを

この五言絶句は、仲麻呂本人が詠んだもので、西安にある仲麻呂の碑にも刻まれています。

仲麻呂……得意じゃないのですが、この歌を詠んだのは、揚州と書いてあっる資料もあるし明州なのか揚州なのか気になるところ。中国のある本には、717年第9次遣唐使として明州に滞在しているときに詠んだと書かれているものもありました。

それから、安倍仲麻呂なのですが、この姓の「安倍」、これが曲者。ネットで調べていると何でもありなんですよ。「阿倍」「安倍」「阿部」「安部」。私は安倍だと思っていたのですが。私の使っている日本語変換ソフトでは「阿倍仲麻呂」でした。これについては、安倍晴明(あの陰陽師の)のホームページでも言及していて、「阿倍は叉阿部、安倍、安部とも記す、古くは皆通じ用ひたれば区別すべきにあらず」と角川書店の「姓氏家系大辞典」に書かれているとありました。だから結局はどれでも良いってことなんでしょうか。(でも、テストでは教科書に書かれているように書かなくては絶対Xになること間違いなしでしょうけれど)

以上、中秋節を前に、気がついたことを書いてみました。

 

<蛇足の蛇足>

百人一首を紹介した「日本古詩一百首」という本があるのですが、その本の中では、七言絶句のかたちで、こんな風に訳されています。

長空望月

遼闊長天玉鏡昇 仰首遥望動郷情
猶是当年春日月 曾在三笠山頂明


 

追加:2012/12/12
2003/09/10

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