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七夕


七夕の日に寄せて、中国の七夕をご紹介しましょう。中国では昔の日本と一緒で季節のお祭りはすべて農暦(旧暦)で行います。今でもそうです。ですから七夕は秋の行事になります。

七夕のことを中国語では「乞巧節」といいます。女の子がお針仕事が上手になることをお願いする日なのです。

お碗に水を汲み日向において、お碗に針を投げ込んで水面に浮かべます。水底にうつる針の影は、花のように、雲のように揺らめきます。その形を見て針仕事の巧拙を占うわけです。これは織姫に由来したお祭りです。

町では、織姫と彦星に題材をとった「天仙配」という劇が上演されたといいます。

説に寄れば、後漢のころにすでに「天の川の伝説」は広まっていたといいます。これらのお話は日本で伝わっているものと何ら変わりがありませんのでご紹介は省きますが、原型になったという昔話を見つけましたのでご紹介しましょう。

漢のころ、千乗に、董永という人がいました。幼いころに母を亡くし、父親と一緒に暮らしていました。畑仕事をして暮らしていましたが、いつも父親を車に乗せて野良に出ていました。その後父親も亡くなりましたが、お金がなく葬式が出せませんでした。董永は奴隷として自らを売り、そのお金で葬式を出すことにしました。主人はそれを知り、董永は立派な息子だと、一万の銭を董永にやりました。

董永は葬式を挙げ、三年の喪に服し、それが明けると、主人の下に赴きました。途中一人の女性に出会いました。その女性が嫁にしてほしいと言うので一緒に主人の家に行きました。主人は董永に「あの金はおまえにやったものだよ」と言うのですが、董永はおかげさまで亡き父の葬式無事に行うことができました。たいしたことはできませんが、一生懸命働いて恩返しをしたいと思います」と言います。そこで主人は「お前の妻は何ができるのだ?」と尋ねると「機織ができます」と言うので、「それなら100疋の絹を織ってもらおう」と主人が言いました。董永のそこで妻は機織をはじめましたが、十日もするとすべて織りあがりました。絹を織り終え、二人は主人の家を離れましたが、妻はそこで「私は天の織女です。あなたがとても親孝行なのを知った天帝が、あなたの借金を返す手伝いをさせたのです」と話しました。そして話し終わると、妻は天高く舞い上がり飛び去って、行方知れずになってしまいました。

『捜神記』

さびしいことに、最近の中国では、日本で行われているお祭りのほとんどがなされていません。中国が起源であるお祭りなのにさびしいことです。茶道が近年復活したように、いつかいろいろなお祭りが復活するかもしれません。それに期待したいです。

……「天仙配」を「天河配」とかいて友達のそうちゃんに間違いを指摘して戴きました。あんちょこからそのまま写したの……なはは~~~。(^^ゞそうちゃんありがとう!!


2000/07/07

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