マリーンの風 元阪急戦士 高木晃次投手
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2007年09月14日
千葉ロッテマリーンズには阪急ブレーブス出身選手がいる。高木晃次投手(39)。86年のドラフトで阪急に1位入団。プロ1年目の87年10月18日、西宮球場での南海26回戦でプロ初登板初先発を果たしている。勝ち星こそつかなかったが、当時、つわものぞろいの両軍にあって、高校を卒業したばかりのルーキーは異彩を放っていた。
「すごく緊張したのを覚えている。無我夢中で投げた。チームには福本豊さん、ブーマーとそうそうたるメンバーがいたからね。相手の南海には門田博光さんがいた。あの人を打席に迎えた時は手が震えた。1打席だけの対戦だったけど、浅い内野フライに打ち取ったのは今でも鮮明に覚えている」
4回3分の2を投げて被安打4、2四球、1失点。勝ち負けはつかなかったが、確かな手ごたえを感じてプロでの第一歩を踏み出した。
それから月日は流れた。高木は阪急が89年、オリックスに身売りされた後もオリックスでプレー。その後、ダイエーに移籍し、ヤクルトを経て千葉ロッテに入団。2度の戦力外通告を乗り越えて、ここまでユニホームを着続けている。「苦労は、いつか報われる時が必ず来る」。誰から教わったわけではないが、この言葉を自分のモットーとし、歯を食いしばり、自分を信じて、激変した環境と何度となく襲ってきた苦難を克服し野球を続けてきた。
そんな高木がプロデビューを果たした西宮球場は今、もうない。04年から05年にかけて取り壊され跡地には再開発により08年に複合商業施設がオープン予定である。また、阪急でプレーしたことのある現役選手も日本ハムの中嶋聡と高木を残すのみ。偶然にも、あの西宮球場でのデビュー戦でバッテリーを組んだ若かった2人が「最後の阪急戦士」として今もなお第一線でプレーしている。
「18歳の時に山田久志さんを見ていて『あんな年までプレーできたら最高だなあ』と思っていた。そういう意味では今、自分がプレー出来ているのは信じられない。体が動く限りはユニホームを着ていたいと思う。阪急を知る選手は少なくなってしまったし、今の若い人はそういうチームがあったということすら知らないかもしれない。だから、その強いチームにいたことを誇りに投げ続けていきたい」
阪急ブレーブスの血を受け継ぐ男はこれからも投げ続ける。偉大な先輩たちが作り上げた歴史を背負い、誇りを胸にボールを投じる。体が動く限り、魂が戦うことを要求する限り、それは続く。千葉ロッテマリーンズファンの皆様には、どうか知っていて欲しい。そして、応援してあげて欲しい。今なお、伝説のあのチームでプレーしたことのある投手が、それを誇りに投げていることを。高木が投げ続ける限り、阪急ブレーブスの歴史は終わらない。(千葉ロッテマリーンズ広報 梶原紀章)