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 1997/09


お元気ですか?
長い間ご無沙汰してしまいました。日本に帰ったのは梅雨のころ、そして帰ってみればミシガンには秋風が吹いていました。
この夏は、我が家にとってとても意義のある夏となりました。
陽子は日本の小学校に体験入学をし、その間、生まれて初めてママと離れて生活をしました。
私は、北京を離れて7年目にして第2の故郷の土を踏むことができました。
智は、4歳の誕生日を中国で迎えました。
そして主人は、その間、すべての雑事を引き受け、アメリカで生活を送りました。
過ぎてしまえばあっという間の夏でしたが、実り多い夏だったと思っています。


上手になった日本語

この夏の成果は、何といっても子供たち二人の日本語がうまくなったこと。日本の学校に体験入学をした陽子は言うまでもありませんが、智の日本語もずいぶん上達しました。

体験入学の間、ママは不在。そのため、彼女はおじいちゃんの家でも日本語だけしか話すことができませんでした。ママがお家にいたら、もしかしたら家では英語で学校での出来事を話していたかも知れません。北京から帰って久しぶりに会った娘は、自分の娘だとは信じられないぐらい、とても日本語が上手になっていました。

さて、ママと一緒に北京に旅した智はどうだったでしょう。日本語、英語そして中国語のという複雑な環境に押し込められ、当初は戸惑ったようでした。中国人のお兄ちゃんとも遊んだし、日本人の人たちの間でも動じなくなり、話しかけられた言語で答えることを覚えたようでした。そして、結果として日本語が上手になった気がします。

日本語が上手になった陽子は、言葉に対して自信がついたようです。アメリカに戻ってから、人をからかうように、「ニーハオ!」「シィェ シィェ!」など知っている中国語を使い始めました。

子供だからといって、言葉はけして簡単に覚えられるものではありません。それにそう簡単に使えるようになるものでもありません。でも、この夏、二人とも一つの山を越えたような気がします。セミリンガルからバイリンガルに、ちょっと近づけた、そんな気がします。


新学期が始まりました!!

夏休みもあっという間に終わり、ついに新学期がやってきました。陽子も今年は2年生。随分成長したように見えます。

さて、8月25日が最初の日。陽子は近所の5年生になるシェーンとバス乗り場へ。そしてその日から新学年が始まりました。

初日も午後までの授業があり、特別クラスの体育もあったとか。ちなみに体育、音楽、図工と図書館といった授業は専門の先生が担当して時間割が特別に組まれています。

そして帰ってきてびっくり、さっそく宿題が出ていました。スペルの練習。いってみれば漢字の書き取りといったところでしょうか。子供に書かせ、それを確認して親がサインをして先生に次の日に提出します。「宿題さえやっていれば、大学までは何とか行ける」といっていたアメリカ人がいますが、なるほどと今更ながら納得しました。ちなみに宿題は毎日あり、欠席した日の分も後日提出することになっています。

彼女はこの日から英語ばかりの環境の中にまた戻りましたが、何の苦痛もなかったようです。帰って来てからさかんに新しいクラスのことを教えてくれました。先生はオリバー先生。残念ながらナンシーもラスティーも同じクラスになれなかったこと。でも、夏休みに一緒に遊んだアメイラはまた同じクラスになました。

今年1年間、どんな事件が起こるのでしょうか。先生は新任の先生とのこと。しばらくしてのクラス懇談会が今から楽しみです。

蛇足ですが、1年生の時の担任、リビングストン先生は途中で産休に入りましたが、休み中に出産、仕事に復帰されたとのことです。


7年ぶりの北京

念願かなって、第2の故郷北京に18日間滞在してきました。

目的は一つ、北京の空気を吸ってくること。そして思いっきり中国語でおしゃべりをすること。

7年ぶりの北京はもちろん変わっていましたが、やっぱり北京。どこにいっても懐かしく、どこにいっても楽しめました。

先生の家を訪ね、思いっきり中国語でおしゃべりをして、炎天下のさなか、智の手をひき北京の街を歩きました。この夏の北京はなんと半世紀ぶりの暑さ。それにも負けず、北京での滞在を楽しみました。

いくつかのアクシデントはあったものの、無事滞在を終えることができました。皆さんに、「次に帰ってくる時はみんなでいらっしゃい!!」といわれ、北京を後にしました。

智は北京で4歳の誕生日を迎えました。彼は北京でどんな印象を受けたのでしょう。帰りの飛行機に乗って、アメリカからのツアー客の顔を見たとたん、それまで緊張していた智の顔がほころびました。

写真は万里の長城にて


私のお気に入り/特別編

泥 人 形

我が家を訪れる人が必ず驚く私のコレクション。それはかつて北京で集めた泥人形です。その数どれぐらいになるのでしょうか。数えたことはありませんが、一つの棚に収め切れず、まだ箱の中に眠っている人形たちもいます。

留学生だったころ、日本ではみかけず、値段が手ごろなお土産として買い集めました。そしてその後、自分の手元にも置くようになり、その数が増え、コレクションといってもおかしくなくなってしまいました。

題材も豊富です。少数民族の衣装を着たもの、昔話の登場人物、仙人などなど。一つ一つを見ていて飽きることがありません。今回北京で見かけたものは、昔の風俗的なものが多く、これらにも興味をそそられました。でも、今回は「我慢、我慢」で一つもかわないで帰ってきました。なぜならもう飾るところがないのです。

いつか、アメリカでも民芸品の泥人形を見かけたことがありましたが、手作りということからでしょうか、値段が高く手が出ませんでした。たかが泥人形なのに、先進国では手作りというだけで高価になってしまうようです。

さて、我が家の泥人形には番外編があります。中南米出張の時にお土産として買ってきてもらってものです。購入者曰く「街の雰囲気まで中国に似ていたよ。」但し、人形のデザインはまるで違うため、一緒に飾ることができず、現在は箱の中に眠っています。

 


雑記

先日、陽子のお友達の誕生会で知り合ったお母さんは、近所の公民館で「家庭新聞の作り方」の講座を開いているとか。

「私たちは他州の出身なの。だから、親戚は誰も身近にいないのよ。子供たちの成長を知りたいっていわれるんだけど、一人一人に手紙を書いていると、それだけで嫌になって。それで、家庭新聞を始めたの。」と動機を教えてくれました。そして、自分がこんな事をしていることを公民館に売り込み、それを教えるようになったとのこと。

「私もやっている」というのは内緒にしていろいろ話を聞きましたが、参考になることも多くありました。

彼女は今、親戚中から記事を集めて、10ページの新聞を毎月発行しているとか。彼女を目指して頑張ろう!!!


ミシガンメモ クリームソーダ

日本でもおなじみのクリームソーダは百年の歴史があり、何と発祥の地はデトロイトとか。

1897年、ソーダ用のスイートクリームが足りなくなったかわりにアイスクリームを使ったのが始まりとのこと。

意外な発見。

≪近況≫

Hiro: やっとみんなが帰ってきた。
長い一人暮らしにうんざり!!

Tomoko: 実り多い夏休みでした。
来年も行きたいな!!!

Yoko: ママのお土産は、チャイナドレス
ママのと一緒!!

Ian: ひこうき、でんしゃ、しんかんせん。
バスもだいすき!


後記: ミシガンだよりを書いているのに、
頭の中にはまだまだ「北京」の余韻が。
ミシガンからの「北京だより」のようになってしまいました。
お許しください。
次号からは普通の「ミシガンだより」に戻る予定です。