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102:罪槐


これは紫禁城の北にある、景山の麓にある槐の木の図です。

崇禎十七年(1644年)、李自成に北京を包囲され、北京は落城、
明の最後の皇帝である崇禎帝は紫禁城裏山の景山にて縊死しました。
このとき首を吊った木がこの槐といわれています。
その槐は、皇帝の命を奪った罪があると、鎖で囲まれ、「罪槐」と呼ばれるようになりました。

この槐の木の傍らには「明思宗殉国處」と彫られた碑がたっています。
ちなみにこの絵は民国初期のころと注釈が入っています。

参考までに、現在の写真です。

この「明思宗殉国處」は民国十九年(1930年)と書いてありますし、碑文のほうは民国三十三年(1944年)のようです。

写真は、Wikipedia から


2012/04/24

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