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北京の胡同


北京の話には必ずといっていいほど出てくる胡同という言葉。町の再開発のニュースでもおなじみになっているかもしれないが、「フートン」と読む。もともとはモンゴル語のxuttukという言葉が起源という話も聞いたことがあるが、今では純粋に北京の横丁を指す言葉となっている。

胡同は大通りではない。横丁と書いたが、家々の門が面している、日本語で言う横丁のことだ。特に場所を限定すれば、北京城内の横丁を胡同という。こうして考えると元の時代、蒙古族が支配していたころにその言葉が定着したと思われる。 

これらの胡同はかつて3000を数えたといわれている。明の時代の「京師五城坊巷胡同集」、清の時代の「京師坊巷志稿」はともに、その時代の北京地名集で、前者は地名、つまり道の名前の羅列に過ぎないが、後者は名前の由来までもが説明されていて読んでいても興味深いものがある。

胡同の名前には土地の特徴でついた名前(二里河、金魚池など)、姓などがついているな名前(毛家湾、王大人など)、有名な建物からついた名前(北新橋、太平倉など)、市場などに由来する名前(燈市口、針匠など)、道の形からついた名前などなどがあって、地名を見ているだけでもなかなか楽しい。この胡同の名前に付いては「北京地名志」という多田貞一氏の書いたものが、現在北京の地名志の原点となっているような気がする。

そんな胡同は、とても狭く、車がようやく一台通れるほど。自転車もベルをけたたましく鳴らしながら歩行者をよけて走っていく。小さないすとテーブルを出してきて将棋をさしているおじいさんたち、野菜の始末をしながらおしゃべりにふけるおばあさんたち。ボール遊びをする男の子、胡同いっぱいになって歩きながらおしゃべりに興じる女の子たち...などなどの日常生活が繰り広げられている。夕餉時になると、練炭のにおい、夕飯の準備をする匂いが立ち込め家路を急ぐ人たちの姿がある。

かつては、外国人が北京の一般の人たちの生活を垣間見るために訪れていた胡同も、現在では取り壊しが進み、北京の人たちにとっても郷愁誘われる場所となっている。先日も映画やテレビドラマのロケに使われている四合院の取り壊しが決まったらしい。胡同の区画整備が決まると取り壊される建物には「拆」と大きくペンキでかかれ、取り壊しを待つことになる。取り壊し中の場所を見ていると、なにか悲しいものがある。そして「拆」とかかれた建物の中でぎりぎりまで生活をする人たちにはたくましさを感じる。

これから胡同はどうなっていくのだろうか。それを注意深く見守っていきたい。

 


2002/05/16

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こちらは、中国でも評判が高かった徐勇氏の写真集です。
ちなみに撮影時期は1989年初夏から1990年春。
まだ町並みの本格的取り壊しが行われる前です。
興味のある方はどうぞ。